この正月は高校の同窓会に出席してきました。大学2年の夏に、高2のクラス(2年D組)の同窓会に出て以来ですから、本当に久しぶりの再会ということになります。2年D組の担任だった南部先生に「加藤、お前何やってるんだ?」と尋ねられて「マイノリティ問題の社会学なんかも教えています」と言うと、いきなり「カルスタか?」と聞かれたので、慌てて否定。
「いや、私は『カルスタなんか読んでるとバカになるぞ』と教えてますよ。もちろんカルスタとかポスコロも一通りは目を通しましたけど、結局ああいう論法は誰の得にもならないですし、実際にマイノリティ運動の最先端はあの手のものをもう卒業してます。」
それにしても、先生、いきなり「カルスタか?」は勘弁してくださいよ(笑)
中学時代にオーケストラ部で一緒にバイオリンを弾いていた井上君(私はファーストの後ろの方、彼はセカンドの前の方だったような)は早稲田の理工学部の准教授になってました。やはり毎日遅くまで大学で働いているそうです。なんだよ、近所じゃねえか、今度東京でも遊ぼうぜと言っておきました。チェロを弾いていたNくんは東大法学部を出て銀行員になって、三菱東京UFJ銀行で働いているとか。オーケストラ部の顧問の西村先生を3人で囲んで「先生、早稲田の准教授に大銀行のエリート社員と来て俺だけ得体の知れない翻訳家って、見事にオチが付いてますな。」と振ったら、西村先生は一言。
「加藤、何言ってるんだ。お前みたいな自由人が一番なんだよ。」
すかさずNくんの
「先生は組織に所属してるくせに自由人じゃないですか!」
という突っ込みも入りましたが。
まああれですね。愛知県内では名門中の名門で通っている学校だけに、偉くなっている奴はきちんと偉くなっていますねみんな。社長に就任して480人もの社員たちを引っ張っていく立場になった大崎くんを始め、愛知株式会社の東京支社を担当しているSくん(立教大の椅子机類はほとんど全てアイチらしいです。次は池袋キャンパスで会いそう)、あるいは総務省のキャリア官僚として活躍中のHくん、いよいよ弁護士事務所を開業するAくん、IHIからトヨタに引き抜かれたダンディなエンジニアのMくん(彼は高校時代から群を抜いて男前でした)、三楽病院の整形外科の若手のエースと名高い河村くん・・・。
もちろん、私と同じく「偉くならない方向」で活躍中の人材も豊富なのがうちの高校の特徴で、プロミュージシャン、国会議員秘書。鰻屋なんてのもいました。実家の機械屋さんを継いだ川村くんは、高校時代は文系だったはずですが、あ~でも良く考えてみたら無線部の部長をやっていたような。驚いたのは2年D組で一緒だった牧野くん。彼は国産材、特に檜材に拘る建築家になっていました。南山の里山コモンズ住宅づくりの為の知恵を借りられそうな雰囲気です。
20年経ってみて初めてわかったんですが、中学高校の6年間という濃密な時間を一緒に過ごした連中の結束力って大したもんなんですね。大学の同窓よりも遙かに強い。そして、私たちの世代が社会の各方面で中核的な存在になってくるこの時期になると、名門の強みというものをひしひしと感じます。いざ何かやろうという時に、これだけ多種多様な人材が強い横の繋がりを持っているというのは、確かに強い。
私は昨今の「学力低下論」に極めて懐疑的ですし、それを煽った受験産業と私学のマッチポンプ商法にも嫌悪感を持っています。まともな(と敢えて書きます)大学に入るだけなら、近所の公立でちゃんと勉強していれば充分。私学の存在価値は本来、ちょっと公立では浮いてしまうような人間の受け皿になったり、ある特定の教育理念(例えば日本手話バイリンガルろう教育とか)を追求する為の場になったりというところにある。私の母校など、教科学習の教育レベルはお世辞にも褒められたものではありませんでしたが(主に教員の質の問題)、まあそこそこ勉強が出来る野郎ばかり数百人を放し飼い状態で6年間、おおらかに過ごさせることで醸成される、独特の文化や空間、そしてその経験は、それなりに存在価値があったのだなあと、今更ですが得心した次第です。