変数を一つ減らす生き方

 研究という営みを生業にしようとするならば必須とも言えるのが、ムラ社会に波風を立てない振るまいを徹底するという心構えです。というのも、研究職は基本的には「既にそこで働いている人たちが合議で新しい仲間を選ぶ」という形で与えられるので、そのコミュニティに波風を立てることが最初から分かっている人物は、基本的にそして絶対に、コミュニティの正規メンバー、正規の市民には加えられないのです。

 私は、そういうあり方もまあ別に構わないんじゃないのと思っています。私が生きる世界とは別の世界ですから。はっきり言ってしまえば、関係無いぞと。それで上手く回っているのなら良いじゃないですか。無理に変えようとしたってきっと上手くいかないだろうから、そのままでどうぞ。

 とはいえ、組織のありようとしては若干特殊なのも事実です。会社組織であれば、意志決定権を持つ管理監督者が、会社の社会的責任や社是に反しない限りにおいて、会社の収益を最大化してくれるであろう人材を採用しますから、場合によっては飛び道具的な変人を入れる場合もあるでしょう。自らの社会的使命に誠実であろうとするならば、NPOであってもそれは同じです。組織の掲げるミッションの実現に対して最適な人材であれば、好き嫌いとかウマが合う合わないとか、空気を読む読まないはあまり関係無い。いや、それ以前に、ミッションを共有し、そのミッションの実現にチームとして最善を尽くすというマインドセットが完了している組織であれば、「あいつ一言多いよな」とか「あいつ空気読めねえな」などという論がそもそも出てこない。

 南山の里山コモンズ住宅プロジェクトの実行部隊の内部議論なんか、本当に厳しいですよ。何が里山コモンズ住宅の実現に対して最善なのかを徹底的に議論してますから。局面によっては、相手の論を根本的に否定するくらいの激しい批判もやってます。それでも結束が揺るがないのは、全員がミッションの実現に向けて全力で取り組んでいることを、お互いに確信しているからです。保身とか自分のメンツとかのけちなことを考えている奴は一人も居ない。

 自分のことは勘定に入れずにやっている。

 そういう信頼関係が確立されたチームは強いです。何故か。変数が一つ減っているからです。例えば10人で構成されたコミュニティがあるとして、その10人がコミュニティのミッションの遂行以外にも、保身とかメンツとか10年後の自分とかを考慮しながら活動しているとしましょう。ミッションの遂行という変数以外に、10人分の「保身」という変数が加わりますから、コミュニティの動態は異常に難解なものになる。だって変数が11本もあるんだからね。

 これに対して、10人が自分のことは勘定に入れずにミッションの遂行に専念するコミュニティを考えましょう。こちらは変数は1本だけ。ミッションの遂行状況という変数だけがコミュニティの振るまいを決定します。

 こらどう考えても後者の方が有利でしょ。コミュニティをコミュニティとして保つ為に食われるリソースの量が違う。前者は組織のガバナー(調速機)が10本の変数の影響を受けて動作するわけですが、後者はガバナーそのものを必要としない。ということは、全てのリソースがミッションの実現に向けて投入されることになる。こりゃ勝負にならん。

 もちろん、そんな精強な組織は簡単には生まれません。私自身も高校生の頃にはそんな組織に加われるような器ではなかったし、大学生の時期もコミュニティのミッションより個人のメンツや意地が先に立つような場で右往左往してました。大学を出た直後にはビックカメラで、最低の組織とはどういうものか、最悪のリーダーとはどういう存在なのかを目の当たりにしました。そんなこんなで20年以上もかかって、「自分のことを勘定に入れない」というやり方と、そういう発想を共有出来るパートナーを見抜く目を身につけてきた(はっきり言えば、これは人の成長速度としては遅いと思います)。

 今、私はゼミ生たちに「喧嘩をするなとは言わない。ただし、お互いの力を最大限まで引き出して、チームとして最高のパフォーマンスを発揮するという大前提を忘れるな」と教えています。彼らにはまだまだ甘いところも多いですし、全力を出し切るための技法も会得していないようですが、それでもなお、20年前の私よりは上手に仲間たちとコミュニケーションを取り、課題に取り組んでいます。週に90分間の演習だけではなく、それ以外の機会にもっと学びたいという声も上がり始めました。私はそこに希望を感じています。

 「自分のことを勘定に入れない」という形で扱う変数を一つ減らし、組織が使えるリソースを増やす。ちょっとだけ難しい技法ではありますが、彼らならあと10年で会得するのかもしれない。残念ながら私が彼らをアシストとして引いてやれるのはあと8ヶ月で、その先を見届けることは叶いませんが、それでも、未来を信じて全力で引こうと思います。イヴァン・バッソの総合優勝を信じて鬼神の如きアシストを見せた、あのシルヴェスト・シュミットのように。

「俺が前を引いている時に一番聞きたくない台詞は、『速すぎるからスピードを落とせ』だ」-シルヴェスト・シュミット