私が大学に入ったのは1990年の4月でした。当時、日本はバブル経済の真っ最中。この頃、東京地区のアルバイト情報誌『フロムA』の厚さは1センチくらいあったと思います。
その『フロムA』に連載されていた、かなり安直な企画の記事を単行本にしたのが『東京サイテー生活―家賃2万円以下の人々』(大田出版、1992年)で、連載当時(1990年頃)は「この好景気にこいつらは何を好きこのんでわけのわからない極貧生活を送っているんだ」という、半ば嘲笑まじりの記事だったはずなのですが、これが本になった頃には既にバブル景気は終わっており、一転してこの本は別の売り方で世に出されました。
バブルはじけてビンボー人が笑う。 本代1200円で月5万円以上得するポスト・バブルの新ライフスタイルを教えるノン・フィクション。 時間に追われず、モノに縛られず、金に執着せず、風の吹くママ、気のむくママに、テクノポリスを徘徊する、サイテー人たちのファンキーな毎日。 ボーカリスト 能登谷健二 正統派役者ビンボー 安達浩 謎の絵描き 金森雅子 ビートたけしを乗り越えん 佐竹チョイナ2 パンクロッカー 内山健二郎 銭湯主義の銀座OL 川野睦美 目指せ工業デザイナー 佐久間雅行 ロック・クィーン 佐藤美由紀 ムービー・ドリーム 伊藤岳人 地球漂流民 小関満美 運命の小松家 小松弘幸・小松千恵 フリーライター 今谷アヤ 超理系の快楽主義者 安井弘知 ギャンブラー 岩瀬令大 最高齢サイテーニンゲン 大野木夕翁 木登り英語講師 マイケル 男の二人暮らし 小野裕樹 地味なヤツ 原渕明 私は女優 畑中広子 路上のアーティスト 石田道雄 ルポライター 大泉実成
この下から5行目に「男の二人暮らし」として登場している小野裕樹くん、実は私の親友だった男なのです。
私は立教大学文学部史学科というところで学部の勉強をしたのですが、学生番号が1番違いだったのがこの小野くんで、二人ともオジー・オズボーンの大ファンだということで、すぐに仲良くなりました。その小野くんは湘南の方の出身だったと思いますが、東上線常盤台駅から徒歩2分の四畳半トイレ共同風呂無しという木造アパートの2階の角部屋に住んでいたのです。そしてここが「東京サイテー生活」と揶揄された場所でした。いや、実際ガスも引かれていなかった部屋なんですが、大学1年の5月くらいから、やはり同じ史学科の1年生だった麻生くんという男が家賃折半で小野くんの部屋に転がり込み、たしか半年くらいはそこに住んでいたはずです。
四畳半、トイレ共同、お風呂無しですよ。そこに19歳の男が二人。
椎名誠がやっていた「克美荘」の六畳一間トイレ共同お風呂無し、日当たりサイテーの男4人暮らしに較べれば、一人あたりのスペースは若干広いですが、それにしても何故わざわざ・・・・という気はします。いや、本当はわかりますよ。そういうの、やってみたかった。それだけだと思います。
小野くんは勉強そっちのけで世界を放浪し(私が知る限りでもインド、ネパール、タイ、フィリピン、スペイン、南米を回っていました)、当然ながら留年を重ね、最後は新聞奨学生をやって卒業したようですが、卒業後は下町の方で洋食屋のコックの修行をしていたと記憶しています。それが10年前に私が聞いた、彼の最後の消息です。
『フロムA』の記事がきっかけだったのかは知りませんが、麻生くんは同居が大家さんにばれて退去を迫られ、実家に戻りました。その後は韓国語の勉強に精を出していましたが、やはり今どうしているのかはわかりません。
今日、なんとなく脚が向いて常盤台の、彼らの巣穴の跡地を探してみました。そうしたらですね。
なんと、まだあった。あのアパートが・・・・!
さすがにもう人は住んでいないようでしたが、それにしても畏るべきことです。
小野くんは、そして麻生くんは今どうしているのでしょうか? きっと麻生くんはカタギの人生を送っていると思います。でも小野くんは・・・・バイタリティだけはすさまじかったので、たとえ一時的にホームレスなどを経験したとしても、きっとそこから抜け出して、しかし相変わらず不思議な人生を歩んでいるんだと思います。
2017/11/6追記
小野くんのその後→三菱商事ロジスティクスで物流センター長などを歴任し、私のゼミとのコラボでインターンシッププログラムも2011年に実施した後、2017年9月をもってMCLOGIを電撃退社。クラフトビール醸造業を起業準備中。
これがインターンシップ・プログラムの様子です。
麻生くんのその後→大分県で公務員をやっています。