梅の谷戸の記憶

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 1992年の早春のことだったはずです。私は練馬の光が丘あたりにアルバイトで出かけた帰り道、成増駅に向かっていました。雨の日だったと思います。もうそろそろ夜になろうかという時間帯でしたが、まだ辛うじて辺りの景色は見えていました。

 私はバス通りから脇道に入りました。その方が駅に近いと思ったからです。と、どこからともなく梅の香りが漂ってきました。どこに梅の木があるのだろう? ふと興味を惹かれた私は駅に向かう足を止め、周囲を見回しました。梅の香りは道に沿って立ち並んでいる古ぼけた平屋のアパートの奥から漂ってきているようでした。

 アパートの奥をのぞき込んでみると、そこはちょっとした谷戸のような地形になっていて、梅の木が沢山植えられていました。きっと梅畑だったんだと思います。当時は狂乱地価と呼ばれたバブルの時代の直後で、既にあの辺りは住宅がびっしりと建ち並んでいましたが、街の中でそこだけが何か不思議な空間になっていました。谷戸の周囲には何軒かの古ぼけたアパートやら小さな駐車場やらがあるばかりで、そこだけが時の流れ方が違うようでした。

 桃源郷、という言葉が最初に浮かびましたが、梅の香りに包まれた桃源郷というのもおかしな話だと思い、代わりに隠れ里という言葉を私は思い浮かべました。柔らかな雨の中、梅の香りに包まれた谷戸を私は長い間見つめていました。

 以来、梅の香りをかぐとその時の記憶が鮮やかに蘇るのですが(その時、ヘッドホンステレオで聴いていた曲が何かさえ憶えています。The PoguesのLullaby of Londonです)、1994年の3月に学部を卒業した私は東上線の辺りにはぱったりと足を向けなくなった為、再びそこを訪れることはありませんでした。

 今日、本当に久しぶりに光が丘の辺りを通りがかったので、ふと懐かしくなってあの梅の谷戸を捜してみました。成増駅を出て川越街道を渡り、右に折れて坂を下りていくと、たしかにそこにはあのバス通りがあります。辺りを見回してみると、そこだけ妙に木々の緑が色濃いブロックが目に入りました。だんだんあの日の記憶が蘇ってきます。そうそう、たしかあの梅の谷戸はブロック全体が木々で覆われていた感じで、坂の上の方が梅畑になっていたっけ。

 私は右手の人差し指と中指をクイっとひねってシフトダウンし、今下りて来た坂の一本南側の坂を上りはじめました。ここだ、ここに間違いない。私は確信しました。しかし、坂の上にあったのは梅畑ではなく、マンションでした。帰ってから調べてみると、そのマンション・・・「ダイアパレス成増掘廚1996年に完成しています。私が梅の谷戸を発見した4年後です。おそらく地主さんの家で相続があり、梅畑はマンションへと変わったのでしょう。「東京サイテー生活」のアパートが今の今まで残っていたことの方が異常なのであって、成増駅徒歩5分の梅林がこのご時世にいつまでも残っているなどということは、奇跡を越えた何かが起こらない限りあり得ないのです。

 ですが、梅の香りに包まれたあの小さな谷戸の雨の夕暮れの体験は、いまだに私の中に鮮烈に息づいています。幅30メートルほどの小さな谷戸があって緑があり、その緑の谷戸を囲むようにして家々が肩を寄せ合っている。家々に囲まれた谷戸は共有地になっていて、どの家からも直接谷戸に下りていくことが出来る。そして日が暮れると、谷戸の木立ち越しに、向かいの家々の窓に灯が点っているのが見える。家々は谷戸を背にしているのではなく、谷戸に向かって開かれている。

 そんな空間を想像してみてください。心が躍りませんか?