NPOの身の丈

 世の中には星の数ほどNPOというものがあり、それぞれに目標を掲げて活動しています。NPOの根本となるのはミッションステートメントであり、それに付随して「手段」や「価値観」が選択されるわけですが、この「手段」のところであまり大風呂敷を広げすぎると良くないんだなあと思うことが最近ありました。

 具体例は出しませんけれどもあるNPOね。立派なミッションステートメントがあって、それなりに活動歴があって、ある分野では見るべき成果を上げてきている。しかしそのNPOがミッションステートメント実現の「手段」として示したものの中には、明らかにそのNPOの内部人材では遂行不可能な案件もある。

 身の丈を越えた、というやつです。

 とはいえ、ミッションステートメントが多くの人間の共感を呼ぶもので、NPOに参加した人々自身がそのミッションの実現を強く願い、身の丈を越えていることは承知していつつもドン・キホーテの如く果敢に戦っているという場合、意気に感じた人々が支援の手を差し伸べることもあるし、そうやって人の輪が大きくなっていって、当初は予想もつかなかった大きなことが成し遂げられるという例も無いではありません。このウェブログ的に言えば1978年の遭難以降のホクレアの歴史がそうですね。

 しかしそれもこれも、まずはNPOのメンバーたち自身がミッションの実現を本気で強く願い、死にものぐるいで動いていることが見えてこそでしょう。たまたま手を貸してくれた人間におんぶにだっこで自分たちは高見の見物、そればかりか手を貸してくれている人間のやろうとしていることを「根回しが無い」「そんなことを了承した憶えはない」「きちんと理事会で了承を取ってからにしろ」とか言い出すようになったらどうですかね。何様だテメエらはって感じでしょう?

 そんなNPOがこの先どんなプロセスを辿って終わっていくのか。NPO経営論の生きた教材として観察してみるのも面白そうです。