三蔵法師がこっそりゴビ砂漠を越えたルートをグーグルマップに聞いてみた

敦煌から伊州(玄奘三蔵法師が密出国したルート)、グーグル・マップに聞いたら、こんな感じだと言われた。

真っ直ぐ突っ切っても500kmのゴビ砂漠超え。彼は27歳の時に、ここをたった一人で突破していったんでしたっけ。

ルート上に2箇所ある白点は、唐の時代に五つあったとされる烽火台のうち、第一烽火台と第五烽火台に比定されている地点。ちなみにこのルートの獲得標高は1500m以上あるはずです。この時代の唐における1里の正確な長さはわかっていませんが、400-560mの間であったろうと考えられています。800里は320-450kmくらいですね。玄奘が西と言っているのは方角ではなく、西域のことだと思います。

 

「かつては沙河と呼ばれていた莫賀延磧[ばくがえんせき]には、鳥も獣も草も見当たらない。玄奘の目に入るのは自分の影だけだった。彼はひたすら経典を念じながら、一人、進んで行った。玄奘は(敦煌と伊州の間に築かれた烽火台のうち)四番目の烽火台の守備隊長から、西に100里ほど行ったところに野馬泉というオアシスがあるので、そこに行くと良いと聞いていた。しかし玄奘は道に迷ってしまった。飲もうとした水も、手を滑らせて全て失ってしまった。

 道に迷った上に水も失った玄奘は、諦めて烽火台へと引き返した。しかし10里ほど戻ったところで玄奘は、「東に戻って生き延びるくらいなら西に向かって死んだ方が良い」という自分の言葉を思い出した。玄奘は再び西へと向かった。

 夜、玄奘は様々な幻を見た。妖魔や鬼が火を灯していた。玄奘の周りを人々が行き交っていた。砂嵐がやってくると、玄奘はまるで雨のように砂粒を浴びた。ここまで来るともはや恐怖は感じなかった。ただ水が欲しいだけだった。玄奘は水を持たないまま5日間、歩き続けた。5日目の夜、涼しい風が吹いた。まるで水浴びをしているような気分であった。玄奘と馬は更に10里進んだ。そこでようやく、玄奘は街道に戻ることが出来た。このとき突然、馬が先に行ってしまったので、玄奘はその後を追った。10里ほど道を行ったところで玄奘は泉を見つけた。馬は泉の近くで草を食べていた。馬は野馬泉の場所を知っていたのである。

 玄奘はこのオアシスで一晩を過ごし、乾きを癒した。そこから更に旅を続けて2日。ついに玄奘は800里も続く流砂を抜け、西域最初の国、伊吾へと足を踏み入れた。」(「三蔵法師伝」より抄訳)

なんか元気出るね。