Dispelling the academician inside

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 今日は「研究者としてのアイデンティティ」はいかにして解呪されるという話です。

 研究者というのは難儀なものでしてね。研究者であり続けるためには、常に新しいネタを仕入れて論文にしていかなければなりません。一撃で世界をひっくり返すノーベル賞級の激レア論文を書いた極めて稀な例外を別にすれば、だいたい発表した文章を秤に載せた時の目方で研究者の価値が判断されますから。趣味で研究者をやっている私でさえ、しかも育休中であるにもかかわらず、毎年2本か3本は論文が出てます。

 ある意味、呪いです。自分で自分に呪いをかけてしまっている。

「その場に留まり続ける為には全力疾走を続けなければならず、そこからどこかに行こうと思うなら、全力疾走の倍の速度で走らなければならない」

という・・・・赤の女王さま、そろそろ勘弁してくだされや。

 ちなみに私は、ある時突然に、「研究者の呪い」が解けた経験があります。あれは2004年の12月ですね。博士論文を提出して、これでもう音楽学の分野での俺の仕事は終わったなと私は感じていました。俺にしか書けないものはこれが最初で最後だろうと。

 その博士論文で書いた話を研究科の総会で話すことになっていた私は、ちょっと時間に余裕があったので池袋駅ではなく目白駅で山手線を降りて、大学へと向かって歩いていました。12月ですから日没は早く、16時過ぎに既に空は赤く染まっていました。目白駅と立教大学の間の住宅街は、学部生だった頃によく恋人と歩いていた一帯でしたが、既に学部を卒業して10年が経ち、区画整理などもあってかなり風景は変わっておりました。と、ある瞬間、私は気づいたのです。

「ああ、何にも残らないんだな。」

 何も残らない。学部生だった頃にここを歩いていた自分たちのあの気分、あの思いは、当時はこれほど確かなものなど無いと思っていたのですが、10何年も経ってみれば、その恋人の行方すらわかりません。生死すら不明。きっと、私が書いた論文も、これから書く論文も、100年もすれば誰もその存在など憶えていないでしょう。

 だからこそなんですが、何か非常に爽快な気分になったんですよ私は。名誉も業績もカネも持ち物も、何一つあの世には持って行けないということが、とても魅力的な事実に思えてきた。あの世に持って行けないんだから、必要が無くなったらどんどん置いていけば良い。それを必要としている人に渡して先に進めば良いじゃねえかと。あれもこれも持っておこう、手に入れようとするから無駄な時間を使い、無駄に場所を食う。

 そう気づいた私は、そこで更に入念に検討してみました。人生で役に立つものは何か。

 カネ。これは良いですね。自分でも使えるし、必要がなくなった時点で誰にあげても使い途がある。まことに使い勝手が良い。

 モノ。これは場所を取るし、いっぱいあっても一度に使える数は知れているし、邪魔になったときに周囲にそれを必要とする人が居ないと、処分するのがまことに面倒くさい。だから、何か手持ちのモノを必要としている人を見かけたら、早め早めに渡していった方が良いだろうね。

 名誉。名声。これはかなりどうしようもない。売ってもカネにならんし、一旦自分のところに来たら、他人に押しつけるわけにもいかん。基本的にこれはいらないな。使い勝手最悪だから。

 ということはあれか。そこそこカネはあるんだから、この先、無理にモノや名誉や名声を増やすのも自縄自縛なだけだな。モノや名誉や名声はなるべく他人に押しつけることにしよう。そこまで考えた時、学部生時代の恋人にもらった、とある映画のビデオのラストシーンの台詞が不意に蘇って来ました。

貴様達は俺のものをみな、奪い取る気だな、桂の冠も薔薇の花も!
だがな。貴様達にはどうしたって奪いきれぬ佳いものを、俺はあの世に持っていくのだ。
神の家に入るとき、青い広々とした敷居を清めて持って行く。しわもつけず、しみもつけず持って行く。
それは、俺の心意気だ。(「シラノ・ド・ベルジュラック」〈1990年フランス〉より)

 ああ、そうだそうだ。忘れていた。シラノの言うとおり、心意気だけはあの世に持って行けるんだな。なるほど。巧いことを言う。じゃ、これで優先順位確定。

心意気>カネ>>モノ>>>>名誉

 この時、私の「研究者としてのアイデンティティ」は完全に解呪されていました。北風にのってどっかに吹き飛んでいった。心がやたら軽くなった。以来、学会の理事だろうが誰だろうが、研究者の前に出てビビるということは全く無くなりましたね。研究業界で這い上がろうとか名声を手に入れようとか何の興味も無くなっちゃったので。言うべきことは言うようになった。学会なんざ所詮は趣味の集まりみたいなもんよ。

 今でも池袋の空を見上げるたびに、あの瞬間の楽しさが心を満たします。心意気だけは失わないように、全身全霊をかけて講義をしなきゃなと思います。力が湧いてきます。池袋にいる限り、いつでもタダで手に入る心の補給食。

 ある意味、便利。

追記:今思い出したけど、今日はあの娘の39回目の誕生日だ。どこかで元気に生きてれば嬉しいな。