前のめり

 藤崎達也さんが2ヶ月くらい前に書かれた話で、そのときは「おっ」と思ったけれども流してしまったんですが、いまだに多摩サイとか奥多摩の峠とか走っている時に思い出すフレーズがあるので、あらためて取り上げてみたいと思います。

自分がやれることでも他の人にはできないことばかりだ。もちろん逆もしかり。腹を立てるだけ時間とカロリーの無駄だ。それよりも、それぞれの特性を意識させてあげることに努めている。その方が楽だ。そして、自分から前のめりで関わってくる人としか仕事はしない。逆に言えば、せっかちで前のめりな特性の人、リスクをとりにくる特性の人じゃないと、自分の特性も活かされないと思っている。

 この「自分から前のめりで関わってくる人」ってところ。これは私が最近モヤモヤと感じていたことを的確に言い表しているのではないか。そう思い始めています。

 私が航海カヌー文化やその復興運動の紹介を始めてから5年くらい経ちますが、当初からしつこく強調してきたのが「シェアする」という考え方。「贈与の環を自分のところで断ち切らない。贈与の連鎖を止めない。これが一番肝心だ」と私は考えてきました。

 このコンセプトはわかりやすいですし、その正しさは誰もが容易に理解出来ます。だから表だった反論はされません。でも、シェアは大事だと口先では言いつつも、実際にやってることは全然「シェア」じゃない人が沢山居たことも事実なんです。他人からのギフトは喜んで受け取るけど、自分が汗かき仕事をして他人の手柄をサポートするってのは絶対しない人たちね。自分からはギフトをしない。

 その見分け方のヒントになると思うんですよ。「前のめり」ってのが。

 普通、新しくプロジェクトをスタートさせようとしたら「企画書」を書きます。その企画書。関係各方面の了承を貰って実現に至る企画書に共通するのは、「これやったらあなたはこんなにお得ですよ」という話が書かれていること。当然、企画を出す側だってその企画で何らかの得をするつもりはあるんですが、そんな話ばかり書いている企画書は駄目なんです。共感されない。企画書のキモは「あなたはこの企画でこんなにハッピーになれます」ということを「前のめり」でアピールするとこにあります。

 一緒に面白いことをやろうじゃないか。これをやれば俺も面白い。あんたも面白い。だろ? 面白いことをすれば俺たちだけじゃなく世の中のみんなが楽しくなれる。だからやろうじゃないか、一緒に。これを。

 そう本気で考えていれば、どうしたって語り口は「前のめり」になるでしょう。そこを見るべきなんです。「前のめり」な人は自分が得することよりも、それで世の中を面白くすることを考えてる。そういう人はね、裏切らないです。風向きがちょっと変わっただけでバックレたりしない。だから信じられる。

 自分の損得で動く人は駄目です。そういう人は確実に自分が得出来る算段が無ければ動かないし、確実に得出来そうになくなったらあっという間に逃げ出す。前言を翻す。こないだまで親友扱いしていた人の悪口を平気で言いふらす。

 先週、ゲストスピーカーで来てくださった拓海さんなんかは、この「面白さ」で動く御仁の典型でね。だいたい私がもちかける話は即断即決で「面白そうですね。それやりましょう。」とくる。前のめり。藤崎さんもそうです。KUAおじさんや宇野健一さんも。ギャラの話なんか後回しっていうか、最後まで出なかったりね。こういう人たちには安心して背中を預けられます。

 ちょっと話を飛ばしますが、私が博士課程で集中的に勉強した現象学という哲学の流派は、(私の理解では)人間の経験の手触り・肌触り・質感を重視するというか、そこから出発するのが基本になっています。例えばチョコレートと初恋。どちらも「甘い感じ」と「苦い感じ」が渾然一体となったような感覚を私たちの意識に与える経験です。この感覚の質感ね。そこが共通ならば、両者は似通ったものだと考えるのが現象学です。

 では「前のめり」感はどうか? 同じですよ。ある友人、ある取引先に自分が感じる質感。そこに全神経を集中させて感じてみてください。こいつは捨て身で前のめってるのか、それとも風向き次第ではトンズラするつもりで重心を後ろに残してやがるのか? 

 私は今年、宇野さん、拓海さんという「前のめり」人間の極めつけを二人もゼミ生に引き合わせました。彼らに共通するあの質感。あれを感じ取って欲しい。本当に信用出来る人間というのは、ああいう手触りがするものなんです。そこを会得してくれていれば、まあ大赤字の持ち出し仕事をしたかいがあったってもんですね。私も宇野さんも拓海さんも。