さて、前の記事でご紹介した針江の「川端」システムですが、実は2004年の番組放送時点ではほとんど使用されていなかったと言います。集落の大半が水道水の利用に移行していて、川端を使っていたのは集落でも年寄りの世帯が数軒のみという状況であったとのこと。
それ以外の家の川端の壺池には蓋がされていたのです。針江を全国に紹介した今森光彦さんの著書によると、10年くらい前まではなんとか川端も使われていたんですが、20世紀の終わりくらいに集落の大半の家が川端を閉めてしまっていたと。それだけではありません。
水路や針江大川にも平気でゴミを捨てるようになっていた。
そうです。実は針江の川端システム、外部の人間である今森さんがテレビ番組で取り上げなかったら、今頃は消滅していたものなんですね。針江大川もそこらにあるドブ川に成り下がっていたことでしょう。
ここが肝心な点です。
こんな希有なものを持っていながら、針江の人たちはそれを壊して捨ててしまう寸前まで行っていたということ。実際、集落の中心部を離れて、集落の東側を通っているバイパスの高架の下あたりまで行くと、針江大川に空き缶やらペットボトルが捨てられていましたからね。まああの辺ですと、外部から来た人間が捨てていく可能性も大きいのですが。
その川端システムを救ったのは何かといえば、番組放送後、どっと押し寄せた観光客でした。突然わらわらと観光客が現れたことで、針江の方々は、この川端というのが実は非常に高い価値を持つものであることを知って、水路の掃除をしたり、川端を復活させたり、川端で洗剤を使わないよう申し合わせたりということを始めたといいます。
それだけではありません。針江大川は現在、河口部の数百メートルをのぞくと、コンクリートの二面張り護岸がされています。河口部だけは川漁師が強硬に反対したので護岸をしなかったんですが、今となっては市当局も針江大川の護岸を後悔しているとのこと。画像を見比べてもらえばおわかりでしょう。もしも集落中心部の護岸が無かったら、景観的にも今よりずっと見映えがしたはずです。
それと、画像1を見てください。これは針江大川の河口部から100メートルほど上流で、河口方面を撮った写真です。画面左手奥に比較的新しい家屋が見えてますよね。実は針江大川の河口部左岸は今、別荘地として宅地化されてしまっているのですよ。しかも、針江集落の伝統的な家屋デザインである焼き杉板外壁(画像2)とはまったく違う、欧米風のログハウスが建ち並んでいる不思議な一角になってしまっているんです。これも、「売らなきゃよかった」と今になって臍を噛んでいるとのこと。
針江観光が始まってから、こうした「しまった!」が沢山見つかったんですね。
観光には、キャッシュフローを生み出すという効果のほかにも、こういった「外部の視点による自己の客観視を促す」という効果がある。松島や上高地みたいに昔からその名が全国にとどろいていて、黙っていても観光客が押し寄せるような土地では今ひとつそういった意識が醸成されにくいような印象もありますが、こうした新しい観光地では、「外部の視点がもたらされることによって自分が気づいていなかった自分の価値に気づく」という現象は少なくありません。
さて、今、針江集落は地元のNPOによるガイドツアーという形で川端観光を行っています。私もそれに参加してきまして、妻にも好評ではあったのですが、敢えて私は「物足りなかった」と書いておきます。
というのは、時間的制約もあるのでしょうけれども、現在の針江ガイドツアーでは、上に書いたような針江の「失敗の経験」に全く言及していないのです。あたかも川端は昔から今まで揺るぎなく続いてきたように針江は語られています。そのようにして自分を語ることもまた一つの選択ではあると思いますが、私は、「針江の失敗の経験」も語った方がガイドトークとして深みが出るだろうし、ツアー参加者の学びも一段深いものになるのではないかと考えています。