それでも信じるとこからいかせていただきますが

 前回、紹介した平川克美さん。来年度から立教大学の特任教授(任期制で再任無しの専任教員)になられる方だったことをその後、知りました。我が母校の専任教員ですよ。世間は狭い。

 とはいえ、どうもこう、この平川さんの主張が腑に落ちないですね。私は。今日も新しいブログ記事がアップされていて、思わず読んでしまったのですが。

めったなことを口にすれば、「不正確な情報で風評を流すな」「煽るな」、「現場で苦しんでいる人々の気持ちになれ」といった叱責が飛んでくる。
(中略)
ひとびとが不寛容になり、常時ならなんでもない冗談や、身勝手な行動や、軽口に対して、いまそんなことをやっている場合ではないといった同調圧力が高まっている。

 そうでしょうか? 私には、今なら東電も政府も叩き放題に叩ける言説状況が出現しているように思えるのですけれども。デマも流したもん勝ちで、ありとあらゆる種類のデマがツイッターやブログを飛び交っています。

 たしかに前回の記事で平川さんが断固主張しておられたように、法の範囲内で利己的に振る舞う自由もあるし、裏をとらないままデマを流しまくる自由も保証されるべきでしょうよ。でも、デマをデマというだけで「叱責」とか「不寛容」とか「同調圧力」とか逆ギレされるのもいやだなあ。ちゃんと論拠を示して「それデマですから拡散しない方が良いですよ」と忠告されたら「あ、これデマだったんですか? すいません、やっちゃいました(笑)」って言えば済む話じゃないですか。買い占めだって買いだめだって、現場で「おいおい、少しは遠慮しようぜ」なんていさめられること普通無いでしょ(俺はいさめたことあるけどね)? 利己的に振る舞って何が悪いっていうのなら、白い眼で見られるくらいは我慢しようや。その辺が落としどころだよ。

多くのひとびとが、モラルを維持し、ボランティア精神を発揮し、助け合い、慰め合い、励ましあっている光景は、この災害のなかでのひと筋の希望である。
しかし、そのことと、非常事態に「そんなことをやっている場合か」と言って他者にモラルや、ボランティア精神や、善意を強要することとは、似てはいるがまったく別のことである。

 この辺がよくわからないんですよねえ。強要ってほど誰も強要してなくない? 買いだめっていうほど、誰も買いだめしてないと平川さんが主張されるのと同程度にはさ。似たようなもんだよ。俺はたしかに自分がゴミ拾いした話の後に「やることなかったら町のゴミ拾いおすすめ」とかフェイスブックに書いたけど、それ強要じゃないよね?

テレビに出て解説している専門家たちの言っていることはおおむね正しいのかもしれない。しかし、それでもなおかれらが安全性を強調すればするほど、不安が増幅してしまうのである。
なぜなら、かれらが「正しい知識に基づいて」原発に関わってきたのならば、そもそも今回のような事故は起こりえなかったはずだと誰もが思っているからである。

 いやあそれは詭弁でしょ。福島第一で、とんでもないお化け津波に非常時のバックアップ電源系統が全部やられちゃったってのは「東電が勝負に負けた」ってことだけど、本当に「正しい知識に基づいて」やっていればどんな災害にでも耐えうるかっつったら、よくあるたとえ話だけども巨大隕石の直撃があったらどんな多重フェイルセーフでももたねえよってことで、それは知識があろうが無かろうが大宇宙が本当の本気で牙を剥けば、人智なんか相手にならないもの。

 そもそも、12メートルだか16メートルだかのお化け津波を想定して人死にを最低限に抑えようぜっていうんだったら、福島第一原発よりも三陸の市街地沿いの海岸線に高さ25メートルの超スーパー堤防並べとけば、今回でいえば万の単位で人命救えたじゃないですか。何でそっちは叩かないの?

 結局、東京で生活してて三陸沿岸に係累居なかったら、津波で何万死んだって話よりも、原発の緊急時冷却系が落ちて近所のバックグラウンド線量がちょっと増えて、水道水で粉ミルク溶かせなくなる方が断然困るから、東京じゃあシーベルトとベクレルの話しかしなくなっちゃうんじゃないかという、これは私の邪推ですがね。

そうではないのだ。今回政府や、専門家が繰り返し発言し、ネット上でその金棒引きの役割を担っているものたちの、冷静になれ」「健康に影響しないのだからパニックになるな」「風評をふりまくな」という言葉の中心に最初から、「民衆はすぐにパニックになるから、情報の発信の仕方に配慮すべきだ」という民心に対するそもそもの信用の不在が問題なのである。
自分を信用してくれないものの言うことを、信用することは誰にも容易なことではない。

 これはね、ずるいよ。断然ずるい。「あいつらが俺たちを信用してねえと俺は感じる。だから俺はあいつらを信用できねえ」って論法でしょ。信頼関係の不在の最初の責任を政府や原子力の研究者におっかぶせてる。その一方で平川さん、長年反原発やってる研究者の小出裕章さんの文章はあっさり信じちゃってるのは何故? その辺の基準がよくわからんのですよ。私は東大の早野先生や中川先生の言葉には誠実さを感じるし、だから信用する。ちゃんと検証可能なソース付きの数字をもとに、誰でも追試や検算可能な形で計算して、誰でもアクセス出来る知見との比較の上で「このように解釈してみました」という情報発信しているこれを信用出来ないというのなら、科学はもう成立しないもの。それで出てきた理由が「自分を信用してくれない」からって、それは言いがかりだよ。

 ここは男らしくこう言い切っちゃって良いじゃないか。

「とにかくおれは政府も東大の研究者も東電も信用できない。だから信用しない。」

 そこから出発しても良いじゃないか。そこから出発して、平川さんなりに、この国を良い方向に持って行けるように頑張ってくれれば、それで良いと思うよ。俺は政府も東電も東大もとりあえず信用するけど。さすがに数値はごまかさないだろうし、数値のごまかしが無ければ、研究者のクロスチェックつきの検討で、今福島第一原発で起こっていることの大枠は見えると思っている。それで失敗したらどうするんだって? どうもしないよ。俺が信じると決めたんだから、俺と俺の家族がその結果を受け入れるだけだよ。信頼関係って、まず自分が信じてみるところから始まることが多いってのが俺の、平川さんより20年くらい短い人生経験で得た感触。だから俺はそっちから出発する。

 もう20年長く生きたら、やっぱ政府と東大は金輪際信用しないって叫んでるのかもしれないけどね、俺も。