デザインのレベルを敢えて下げて

モノや仕組みの目的、本質に対して正しい(同じ結果を得るのであれば、より手間がかからない/より省資源である。同じ手間や資源を費やすのであれば、より多機能である/より高度な結果が得られる)デザインというものは、確かにあります。

一方、省資源化や高機能化、多機能化にはならなくとも、見た目を変えるという「デザイン」もあります。

例えばTシャツの色や柄を変えても省資源にも高機能にもなりませんが、目新しい色や柄を作って売り出せば、それが飽きられるまでは一定の売上が見込めます。

場合によっては、低機能化、資源浪費化をしてでも見た目をいじって売上を取るというやり方さえあります。一頃流行った、家の天井を取っ払って屋根や梁を露出させるというリフォームがそれです。見た目は新鮮かもしれませんが、天井を抜くことで暖房効率も冷房効率も悪化しますからね。

さて、最近ちょっと気になるのが、見た目を優先させて機能を退化させたようなものが「デザイン性が高い」という言い方で変な付加価値を付けられているという現象。ファッションの世界ならともかく、道具や不動産の世界でそれは良くないと思うのです。

もちろん、変なデザインのモノを作って売るのは自由ですよ。買うのも自由。でもそういうモノを語り説明する時には「デザインのレベルを敢えて下げて見た目の変さの度合いを上げました」って言わないと。そして、そういうものは人類の進化にはあまり寄与しないけれども、敢えてお遊びとしてやっておりますという認識を、売る方も買う方も持っておかないと。