理不尽な死がやってくるまでに

 スカパー大開放デーに撮りためた番組もあらかた見尽くしてしまいました。
 中でも印象に残ったのは、「Death on the Amazon」という番組。印象に残ったというか、消化不良感が残ったというか。

 この番組が採り上げているのは、伝説的なヨットマンのピーター・ブレークさんです。私はこの番組を見るまで、この方がどういった方なのか全く知りませんでした。ただ、ナイノア・トンプソンさんが参加した沖縄のサバニレースが「ピーター・ブレーク・メモリアル」と銘打たれていたのは憶えています。

 こちらのウェブサイトによれば、彼は1948年にニュージーランドに生まれ、世界一周ヨットレースで華々しい活躍をした後にアメリカズ・カップのニュージーランド代表チームのリーダーとなって、アメリカから優勝をもぎ取り、さらにニュージーランドで行われた防衛戦も制したという、超一流のヨットマンだったそうです。

http://www.blakeexpedition.com/about.htm

 ニュージーランドは英連邦ですので、1983年にM.B.E.(Member of the order of the British Empire:大英帝国5等勲爵士)、1991年にO.B.E.(Order of the British Empire:大英帝国4等勲爵士)、1995年にK.B.E.(Knight commander of the British Empire:大英帝国上級勲爵士)となっていますね。これでサーの称号がついたわけです。サー・ピーター・ブレーク。

 ちなみに他にこのシリーズ(大英帝国勲章)を持っている人で私が知っている人というと

ビル・ゲイツ ロジャー・ムーア ボブ・ゲルドフ K.B.E.
スティング デヴィッド・ギルモア エリック・クラプトン アレックス・ファーガソン C.B.E.(Commender of the order of the British Empire:大英帝国3等勲爵士)
デヴィッド・ベッカム O.B.E.
ナイアル・クイン M.B.E.

 さすがにファギーはベッカムより上でしたか*。ピーター・ブレークさんはボブ・ゲルドフやサー・ボビー級の評価を受けていたわけですね。一番上にはG.B.E.(Knight Grand Cross of the order of the British Empire)というのがありますけれども、これはレアもののようで、これを持っている人で私が知っている人はなかなか見つからなかったです。

 さて、かくも輝かしい武勲を誇るサー・ピーターですが、アメリカズ・カップを防衛した後はすっぱりとヨット競技を引退し、地球環境保護運動に身を投じました。オメガ社のスポンサリングを取り付けて大型の調査ヨット「シーマスターSeamaster」号(オメガ社の商品名なのはご愛敬)を建造し、世界各地に赴いて環境破壊の調査を行い、それをリアルタイムでインターネットに公開する。

 彼のネームバリューと行動力、統率力があってこその一大プロジェクトでした。このプロジェクトは「ブレーク・エクスペディション」と名付けられました。

http://www.blakeexpedition.com/

 ところが。プロジェクト開始後まもなく、「シーマスター」が赴いたアマゾン川の調査を終えて河口付近に戻ってきた所で、地元のチンピラの押し入り強盗に遭った船を守る為に銃をとって立ち向かったものの、弾詰まりを起こして返り討ちにあい、伝説の英雄は唐突にその生涯を閉じてしまったのでした。2001年12月5日。残された映像も、死の直前まで元気に船を操っているサー・ピーターから、いきなり襲撃後の呆然としたクルーへと切り替わっています。

 強力なリーダーを失った「ブレーク・エクスペディション」プロジェクトも暗礁に乗り上げたようで、2002年からウェブサイトは更新されていません。

 たしかに英雄はしばしば唐突な死を迎えますが、この番組はその唐突さをあまりにもリアルに描き出しておりました。昨日まで元気だった人が、今日はもう居ない。死というものの理不尽さをこれでもかと思い知らせてくれます。私が消化不良といったのはそこです。さあ、これからという時に唐突にやってきた終焉。このやり場のない期待をどうしてくれる。まあ、世の中には英雄でない人の方がもちろん多いし、理不尽な死というのは相手が英雄だろうと無名の人であろうと、わけへだてなくやって参りますが。私だって明日にはどうなっているのか、本当のところはわかりません。

 ところで、以前少し紹介した脳科学者アントニオ・ダマシオは、面白い事を言っています。彼は当然のことながらバリバリの理系ですが、意識について論じた本『意識の脳、無意識の脳』のしめくくりで、人間を構成するものの中で最も重要なものは意識ではないと明言しています。じゃあ何が重要なんだ? 無意識か? そんなありきたりの事を言ってどうするんですか。いや、彼の意見はもっとありきたりと言えばありきたりかもしれない。ですが、最先端の脳科学の知見を渉猟して人間とは何かを考えた結果として、(科学者を引退した売れっ子エッセイストではない)本物の現役の脳科学者がこれを言うと、やはり重みがあります。

「意識があるから、われわれが賞賛する人間的特質を『心』がつくり上げることができるのであって、意識はけっしてそうした特質の本質ではない。意識は愛や名誉や慈悲と、寛容や利他主義と、詩や科学と、数学や技術的想像力と、同じでは『ない』。そのことで言えば、不道徳な行為、存在の不安、創造性の欠如も、悪い意識状態の例ではない。ほとんどの犯罪者の意識は損なわれていない。損なわれているのはたぶん良心だ。」

 要するに、意識(彼の分類では、過去や未来について思いを馳せることが出来る意識状態である「延長意識」)があるからこそ、人間には色々なものを愛したり、寛容になったりする力が備わるのだと言いたいのですね。そして、一番大切なのはそこだと。彼はこのような意識の力の出現も生物学的進化によるものであり、基本的には生存の為の生理的機能の一種と考えていますが、そうやっていくら賢くなっても、それを自分の為だけに使っているんじゃあ、ヒトは人間になれねえぞと言っている。
 
 私たちがサー・ピーターの理不尽な死から学ぶべきものは、たぶん「強盗にあったら抵抗しない」とか「銃の手入れは怠りなくやっておこう」という所だけではなくて、もしかしたら今日にでもやってくるかもしれない自分の理不尽な死を意識において検討すること。また、そうした可能性を考慮したときに、自分はこれから何をするべきなのかも意識において検討することであるような気がします。さっき感じたやり場のない期待をぶつけるとしたら、そこですね。

 一言で言うならば、「たまには俺も善行を積んでみて良いんじゃないか」という事です。死んでしまったら善行も出来ないんだからさ。

* ファギーは三冠シーズン終了後にナイト爵knighthoodを授与されていますから、そっちの資格でSirなんですね。サー・ボビー・ロブソンも同様。