里山論の論文が出ました。

加藤晃生「都市空間における里山の再創造-稲城市「南山東部土地区画整理」の事例から考える-」『応用社会学研究』No.53, pp109-121,立教大学社会学部, 2011年3月

 いわゆる「里山」の開発を巡る住民紛争は相変わらず各地で続いている.筆者の住む東京都稲城市でも,市域の南東部に残された丘陵地,通称「南山」の区画整理事業(組合施行)を巡って長年反対運動が繰り広げられている.こうした紛争は,私有地を巡る税制のありようが大きく変えられるか,宅地造成後の坪単価が50万円以上というような市街化区域内の土地においても成立する山林経営のビジネスモデルが出現しない限り,跡を絶つことは無いだろう.自治体による買収は金額から言っても多くの場合,非現実的であるし,一旦土地が開発業者の手に渡れば開発業者が開発から手を引くことはまずあり得ない.
 だが,だからといって「里山」が大都市やその近郊にはもう成立しないと言い切れるのだろうか? 開発行為は常に「里山」の終焉や消失を意味するのだろうか?
 本稿では東京都稲城市の事例をヒントに,これからの日本の大都市あるいはその近郊で成立可能な「里山」のありようを考えてみたい.

 ところで今や「里山」の象徴となったトトロとその眷属たちが棲んでいるあそこは,本当に「里山」なのだろうか? 四出井による定義を用いるならば,これは明確に判断出来る.トトロの家は「里山」には無い,と.注意深く思い出してみて欲しい.物語の主人公,サツキとメイがトトロに出会ったのは,マツゴウと呼ばれる地区にある彼女らの家の右隣,鬱蒼として暗い鎮守の森の中心にある巨大なクスノキの洞であった.そこが鎮守の森であるということは,その森の木々は基本的には伐採されないということであり,植生は潜在自然植生に近いものとなる.「となりのトトロ」が現在一般的に考えられているように埼玉県所沢を舞台とした物語なのであれば3),その潜在自然植生はシラカシなどの常緑広葉樹林だ.鎮守の森の中が薄暗いのは,常緑樹の林冠が常に日光を遮っているからなのだ.
 一方,この地域の本来の農用林はクヌギやコナラなどの落葉広葉樹であり,植えてから15年程度で根株を残して皆伐され,燃料として利用される.根株からは再び幹が生えて株立ちの木々が育つ.林の中は明るく,落ち葉や下草は全て持ち出されて緑肥や燃料に使われるので,地面は掃き清めたようになっている.関東ローム層の上に形成された表土の厚さは一定ではなく,雨水によって流された結果,尾根筋では薄く,麓付近では厚く堆積している.その為,尾根筋には痩せた土質にも耐えられるアカマツが多く見られ,逆に谷戸地形の沢筋には湿った場所を好むスギやヒノキなどの針葉樹が植えられているだろう.
 四手井に従って農用林を里山とするなら,明らかに「トトロの森」は里山ではないのである.だが,にもかかわらず,今やトトロは里山の象徴である.何故なのか? 「里山」に関わる今日の緒言説そして諸実践を理解する鍵がここにあるように思う.次節以降では,前出の南山の事例を見ながら,何故トトロと里山が結びついていったのか,何故こうした結びつきが問題なのかを検討していく.
近日中に以下のウェブサイトに全文pdfが公開されます。