不寛容と便乗バッシングの精神

 尼崎の脱線事故で事故車両に乗り合わせたJR職員の手記なるものが発表されました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050514-00000101-yom-soci

 私はこのお二人、いや、事故当日に宴会をしていた方々やゴルフに行かれた方々にも。深く同情しております。きっとこのお二人も、そのまま現場にいればいたで、「勤務に穴を空けた」とか批判されたでしょう。上司が出勤を指示したのならそれに従うのが社会人だとかね。なんとでも叩きようはあるもんです。

 それに、会社が事故を起こしたからといって、その職員がプライベートでレクリエーションをしてはいけないという理屈が私には全く理解できません。

 責任を負うべき主体はJR西日本の法人格であって、その個々の職員ではないですし、個々の職員がことさらに被害者を直接明確に侮辱するような言動や行為をしたのならともかく、退勤後に彼らが何をしようが、法秩序の範囲内であれば自由のはずです。それは彼らのプライヴァシーに属するものです。

 そもそもバッシングしていたマスコミの方々は、他人に言うほど高い倫理性を持っておられるのでしょうか? 自社の配達員が奈良で幼女誘拐殺人事件を起こした時、自社の記者がイラクで拾った爆弾を空港で破裂させた事件の時、毎日新聞の職員は宴会もゴルフも自粛していたのですか?

 被害者感情に便乗してJR西日本の職員を罵倒していた下品きわまりない読売新聞社の記者がおりましたが、読売新聞社の職員は当分宴会やゴルフを自粛するのでしょうか?

 被害者の知己であるからといって、JR西日本の職員に暴行を加える事が許されるのでしょうか(新聞にはJR西日本の職員を鞄でブン殴る女性の写真が掲載されておりました。気持ちはわかりますが、それをやったら明らかに傷害罪です)。

 こういった非本質的で情緒的で非論理的な攻撃行動がまかりとおる社会というのは、非常によろしくないと思います。そこには寛容の精神が欠けています。私憤を公憤にすり替えて個人的ストレスを発散しているだけに思えます。

 エディ・アイカウの事績を思い起こすと、彼我の間にある寛容の精神の量的差に愕然となります。彼は自分が助けた人間に一切の感謝を求めませんでしたし、彼の警告を無視して溺れかけた者も分け隔て無く助けに行きました。便乗バッシングにうち興じているマスコミは、あえて赦す精神をもう少し磨いた方が良いです。