ライターの平川克美さんという方が、震災発生直後に私が教え子たちに繰り返し言い聞かせた言葉の殆ど全てについて、批判しておられます。ここ。
不確かな事を言って煽るな。 専門家でないやつが、想像で勝手なことを言うな。 落ち着け。 パニックに陥るな。 逃げるな。 こういった命令的な言葉におれが感じていた違和感の所在も同じところにある。これらは、いったい誰が誰に言っている命令なのだろう。言われているのは、「小市民」である。「小市民」はいつも、自分勝手で、知識に乏しく、すぐにあわてて、何をしだすかわからない。 言っているのは誰か。主語の抜け落ちた、正義の代弁者なのか。 「小市民」は、自分勝手で、無知で、利己的な存在かもしれないが、自分や自分の家族をどうしたら守っていけるかということの判断力や、危険の察知能力において、専門家に対して劣っているわけではない。その理路を示せなければ、どんな言明も思想にならないとおれは思う。
私のあの記事は石井孝明さんがツイッターで何度も紹介してくださったので、一時期のブログ閲覧数は普段の20倍くらいになっていました。基本的にあれは、私が私の直接の教え子たちに指示したものでしたし、私の教え子でない人たちがあの指示を、自分に向けられた命令であると読み違えることも無かったでしょう。
ところで私があの時期、何故あれだけ強い口調で学生たちに指示を出したのか。それは、彼らは私のO’hana(ハワイ語で家族、ただし血縁関係の無い集団にも用いられる概念)だと思っているし、普段はそれほど強い紐帯で結ばれているO’hanaではないですが、ああした緊急時には最年長で最も多く修羅場を経験している私がO’hanaをまとめ、彼らに、そして社会にとって最善と私が判断する行動をとらせるべきだと考えているからです。彼らの動揺や不安を最低限に食い止めて落ち着かせ、彼らがパニック的な行動に加わることを回避する。私はそれが、彼らがこの状況を生き延びるために最適な行動だと判断し、だから私の責任と私の名前をもって彼らに指示しました。普段から築いてきた信頼関係があったから、彼らも私の言葉を信じて軽挙妄動を最低限に抑え、初期の緊急時を乗り切ってくれました。
平川さんはこうした小さなコミュニティ内部における、緊急時の行動や言説を念頭に置いて書いておられるわけではないでしょう。緊急時に軽挙妄動する自由も大切ですが、緊急時に自分のコミュニティをきちんとまとめて社会の混乱を食い止めるリーダーも同じくらいに大切であるということも、もちろんご存じなのだと思います。
なお、私も原子力災害や放射線医療の専門家ではありませんが、こうした時にデマや流言飛語を信じて右往左往するよりも、まずは落ち着いて専門家の意見を熟読することが、O’hanaのメンバーを守る上で最善の行動だという信念はあります。ただ、私が「小市民」なのかどうかは、よくわかりません。