まなじりを決しない

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 昨年12月、ある漫画原作者が亡くなりました。勝鹿北星、あるいはラデック鯨井、きむらはじめなど、さまざまな筆名で名作を送り出してきた方です。代表作は『MASTERキートン』『SEED』『なんか妖怪』。。本名は菅伸吉さん。

 このうち最も有名なのは、やはり『MASTERキートン』でしょう。オクスフォード大大学院で考古学を学んだ気弱なスーパーマンが、保険調査員の仕事をしながらもコツコツと研究を続け、ついに自分のやりたい事はやはり考古学だったと開眼するというお話。大学の非常勤講師の悲哀を描いた漫画としても一部で話題になりました*1。個人的には浦沢直樹さんが名匠の域に達する最後のきっかけとなった作品とも思っています*2。

 『SEED』は『MASTERキートン』の後に、別の漫画家と組んで制作された作品ですが、元エリートで美人の奥さんと別れていて世界中をフラフラしているという基本的な構造は同一。主人公は日本のNPO職員として世界各地に出向き、環境問題に取り組みます。そしてキートン先生と同じように、小さな成果を挙げて帰っていくのです。言ってみれば『MASTERキートン』の環境問題バージョンでしょうか。『MASTERキートン』では、チームを組んでいた浦沢さんや長崎尚志さんによってサスペンス風味やアクション風味、入念なストーリー構成も付け足され、何より浦沢さんの画力が素晴らしい為に超一級の作品に仕上がりましたが*3、『SEED』はそこまでの完成度に達してはおりません。作品の風格としてはどうしてもB級の範疇に留まってしまっています。

 ですが、菅伸吉さんが外れた事で浦沢・長崎コンビが失ったものも明らかにあります。あの何とも言えないユルみ感、ほのぼの感です。『20世紀少年』『MONSTER』『PLUTO』はたしかに良くできた作品ですが、読み手の神経を絶えず痛めつける緊張感が途切れなく続くので、読んでいて疲労困憊してしまいます。ストーリー構成もくどいですしね。巨大で怪物じみて正体がわからない敵に主人公が挑むという基本プロットも同一。それに、ダラダラとお話が引き延ばされていつまで経っても終わらないのはいかがなものか。

 一方で、『SEED』は『20世紀少年』『MONSTER』『PLUTO』に較べるともうユルみきっていると言って良い作品です。主人公は区民農園で野菜を作ったり、別れた妻のことでウジウジ悩んだりするのが趣味です。アクションも嫌い。だから殺人シーンもありません。環境破壊の犠牲で死ぬ人はたまに出ますけどね。

 やはり、『MASTERキートン』は菅さん、長崎さん、浦沢さんの3人の誰が欠けても成立しなかった奇跡の作品なんだと思います。そして、今日私が主張したいのは、菅さんのユルみを見習ってみようという事です。

 考えてみてください。『20世紀少年』『MONSTER』『PLUTO』。正義の味方も悪役も、全身全霊全力で役柄に取り組んでいます。正義の味方はまなじりを決して悪と戦い、世界を救おうとしていますし、悪役は悪役でまなじりを決して悪の道に邁進しています。一方、キートンさんや森野広くんは、そういった「まなじりを決した」人々の所にフラリと現れては(パッと見)意味不明の行動をとって笑いを取り、場を和ませます。その上で、「まなじりを決しない」事で出来る、第三のユルんだ選択肢を提示して去っていくのです。

 20世紀、私たちは「あれかこれか」の二者択一をやってきました。まなじりを決してね。鯨を捕るなと言えばどんな手段を使ってでも捕鯨を潰そうとする人々。治水の為に護岸やダムが必要だとなれば、やはりありとあらゆる手段で反対派を潰して政策を実現する人々。彼らはどちらも「断固」とか「絶対」という言葉を愛しています。100点満点の回答でなければ許せないという点で、彼らは同じ穴の狢です(だから日本の新聞で最も論調が似ているのが朝日と産経、あるいは赤旗と国際日報なんですな)。

 ですが、こんなに複雑な世の中に100点満点の解答なんか存在するわけがない。どちらの言い分にも見るべき所はある。本当に探るべきなのは、両者の意見を斟酌した第三の選択肢なのですが、それはまなじりを決していては絶対に見えて来ない。必要なのは、キートンさんや森野広くんのようなユルみ。ヘタレと言っても良いでしょう。アクションが嫌いで小さな生き物に優しい目を向けて、別れた妻への未練が断ち切れない。根本的な所で小市民な人たち。

 彼らは決して遠藤ケンヂやテンマやアトムのような本質スーパーマン・キャラではありません。ですが、これから世の中が良くなっていく為には、一人のスーパーマンではなくて、数え切れないヘタレ小市民の力が必要なのだと思います。ヘタレ小市民はイラクに行ってビンラディンさんを捕まえて来ることも出来ない。核実験や環境破壊に抗議してハンガーストライキをすることも出来ない。

 ですが、ヘタレ小市民だって「クールビズ」を着て仕事をすることは出来る。「アイドリングして昼寝をしない」ことも出来る。「無駄なものを買わない」ことも、「食べ残しを出さない」ことも出来る。

 「まなじりを決して」しまって、第三の選択肢を探る視点を失うよりは、ヘタレでも良いから日々の暮らしを穏やかに緩やかに改善していく道の方を選びたいものです。私は。

*1 日本の学者の世界はなかなか難しく、大学院を出たにもかかわらず大学や公的な研究所の研究職に就いていない人物(非常勤講師や塾講師、高校教師など)は「崩れ」と呼ばれて、その実績とは無関係に「研究職就職レースの敗者」としてバカにされるのだそうです。

*2 それまでの浦沢さんは『YAWARA!』『Dancingポリスマン』など、どちらかと言えば「絵は上手いけどお話はいまひとつ」の方でしたが、『パイナップルARMY』『MASTERキートン』と原作者付きの作品を二つ描く中で、超一流の描き手として完成されたような気がしています。実際の所は長崎尚志さん(元ビッグコミック・スピリッツ編集長で現在は浦沢さんと組んで『Pluto』制作中)の貢献もとても大きいのでしょうが。

*3 おそらく勝鹿北星さんがアイデアを出し、長崎さんがストーリーの骨格を作り、浦沢さんが演出をしていたのでしょう。長崎さんは東周斎雅楽のペンネームで『イリヤッド:入谷堂
見聞録』を手がけておられる他、『20世紀少年』『MONSTER』などにも関わっておられます。