夏休みもなく家事に翻訳に働き続けるワーキングプアな夏を送っております。こんだけ働いて印税らしきものが入るのって来年ですからね最短で。ほとんどボランティアみたいなもんす。
さて。他にも色々事情はあるのですが今年は遠出バカンスは一切封じられ、近場をせっせと自転車で探検する夏です。先日は多摩川の支流の一つ、三沢川源流探求の旅をしてまいりました。
三沢川は川崎市多摩区布田で多摩川に注ぐ一応一級河川。余談ですが布田という地名は対岸の調布にもありますな。これはようするに、過去の多摩川が暴れ川だったという動かぬ証拠。つまりかつてこの川崎側の布田の西側を多摩川の川筋が通っていたのが・・・というわけです。
そこから上流に遡ると、やがて左岸には多摩丘陵の端っこが現れます。その中腹にあるのは延喜式神名帳にも登場する古社、穴澤天神社。この辺りから稲城市ですね。川は多摩丘陵を左手に見つつコンクリ二面貼りの、つまり人間と切り離してさっさと流れていけ系の体裁が続きます。稲城市役所の先あたりで鶴川街道に沿うようになり、ここから川崎市麻生区に入るまではこの状態。何故かといえば、この先はもう多摩川の氾濫原じゃなくなっちゃうので、道も川も同じとこ通るしかないんですね。かつては多摩丘陵に穿たれた谷間だったことでしょう。
三沢川は左右の谷戸から支流を集めつつ流れていきます。若葉台あたりで右岸は完全なニュータウンの光景。ここで三沢川は再び川崎市に入ります。麻生区黒川です。
三沢川が鶴川街道と別れる辺りの丘の上にあるのは汁守神社。座布団の虫干しの真っ最中でした。
ここからはもう三沢川も幅1mにも満たない三面貼りコンクリート水路です。川の右岸は谷戸の地形を利用した水田が広がります。(画像1)
鶴川街道から別れて10分も漕ぐと、唐突に三沢川源流です。といってもそこはただの水田。水田の脇あたりで三面貼り水路が途切れておしまいという・・・・。ここまで左岸がずっと明治大学の持っている藪というか里山未満というか、そんなようなものでしたから、そこから流れ込んだ水が三沢川になるんでしょうね。
さて、この源流域の谷戸を取り囲む尾根の一角に、興味深い場所があります。「毘沙門大堂」と呼ばれているのですが、ごく小さな祠です。上り口から境内を見上げると、何故か鳥居。(画像2)
江戸時代以前の神仏習合の状況がそのまま残ったのでしょうかね。奈良時代からこの場所には祠があったと伝えられているのですが。
でも鳥居の脇にある石仏群は何故か全て破壊されています。(画像3・4)さすがに珍走団も入り込まないようなマイナーな場所ですからね。廃仏毀釈の時にやられちゃったんでしょうか。
祠の中には白木で出来た小さな毘沙門天立像が納められていました。かつては行基作と伝えられる毘沙門天座像があったそうですが、10年ほど前に盗難にあったそうです。祠の奥には石塔もありましたが、ヤブ蚊の集中攻撃を受けたのでゆっくり解読も出来ずに退散。
毘沙門大堂の前の道は三沢川とは別れ、谷戸の尾根の中腹を走っていきます。道沿いには不法投棄された粗大ゴミの山、山、山。やがて道は国士舘大体育学部の裏に出ます。ここが谷戸の終点です。
というわけで、なかなかトラウマな探索行となってしまいました。川には自転車までいくつも捨てられ、二面貼り三面貼りの品格の無い水路には生活排水が垂れ流され、源流域には粗大ゴミの山。神聖なる祠から神像を盗み出す罰当たりはいる。
なんと申しましょうか。こういうのって恥ずかしいですよね単純に言って。ホクレアのミクロネシア・日本航海公式ウェブログには寄港地ごとに「あなたの島の自慢を教えてください」コーナーがあって、誰でも自由に書き込めるようになっているんですが、これは明らかに本州島の恥の一つだもんな。なんとかならんのか川崎のみなさん。
いやね、三沢川の源流域はそれでも市街化調整区域になっていますから、辛うじてまだ間に合う状態だと思うんですわ。粗大ゴミを始末して生活排水は下水に流すようにして、醜い三面貼りを除去してね。きっとカエルもメダカもホタルも帰ってくると思うよ。それで谷戸と川を汚したことを毘沙門天さまにお詫びして。ホクレアが日本に伝えたいことって、「そういうのって大事なんだよ」ってことですからね。違うかな?