俺は偽善者になりたい

 先日書いた「ライフセービングの精神は崇高だから見習いたい」みたいな話もそうですし、ホクレア号の物語も概ねそうなのですが、こういう話は妙に前向き楽観主義で、人によってはどうにも落ち着かないのかもしれません。

 私自身、ホクレア号の物語に出会うまではわりとシニカルというか斜めに構えたというか、要するに全面的にいけ好かない奴だった自覚があります。喧嘩上等、みたいなね。あの頃には、自分がこういう話を毎日書き殴るようになるなんて想像もつかへんかった。

 たしかにね、毎日毎日朝から晩までいい人をやってるなんて不可能ですよ。だから以前にも書きました。「1日15分くらいは聖フランチェスコやエディ・アイカウの真似をしてみよう」と。そいつは偽善と呼ばれるものなのかもしれません。

 貧困撲滅とか第三世界への医療支援とか、記憶に新しいところではツナミ被災者支援とか、そういうのにカネを出して、それで免罪符を手に入れたと思ってるのかコノヤローとか言われるかもしれない。私は持っていませんが、ホワイトバンドというんですか? あの白い腕輪。私の好きなサッカーでもたまにつけている選手がいまして、キャプテンマークをつけた選手がいっぱいいるのは何故だと思ったもんです。あれも運営側の情報開示が不十分だとか、所詮は利権絡み政治絡みの汚い運動だろうとか。そんなものに引っかかるなんてバカだねお前ら。

 そういうことをお書きになっているウェブサイトもいっぱいある。

 じゃあそういうことをお書きになる方々は、何かもっと賢いことをしておられるのかと思えば、さにあらず。「俺はそういう裏を知っているけど、お前らは知ろうともしないんだね。でも裏も知らないで世界が変えられると思うかい?」とはおっしゃいますが・・・・・そこまでだった!

 そういう方々の理屈は「そっちの方向に正解は無いと思うよ」までであって、「これが正解だと俺は思う」とは絶対に言わないんだな(笑)。ほら、身近にいませんか? 私たちが何かプランを出すたびに「ああ、あんなものは駄目だ。」「あんなものは終わってる。」「君、そんなものが良いと本当に思ってるわけ?」と、片っ端からダメ出しする「口だけ」の人。辛口批評家ね。そういう人はきっとどこかに「正しく賢くクールな選択肢」があることを願っているんでしょう。だから、それが見つかるまでは動かない。ホワイトバンドなんてつけたら沽券に関わると思っている。

 私思うんですが、そういう方々は・・・・・・本だけはいっぱい読んでいる人文系の学者さんや学者見習いさんに多い気がしますけども・・・・・・潔癖性なんでしょうね。人間のデタラメさ、いい加減さを受け入れられないし、デタラメでいい加減な人間が信じられない。「今の世の中はダメだ」と嘆いてみせるのが商売の知識人のみなさんもそう。スチャラカが許せないんだ。

 でもねえ、どこまで勉強したって、世の中の仕組みなんかわからんですよ。絶対に。それはもう、キリスト教神学もカントもヘーゲルもハイデガーも、枕を並べて討ち死にしてますから。実存主義も構造主義も社会システム論も構築主義もダメだったでしょ。進化ゲーム理論だってきっとダメですよお父さん。だから、「正しく賢くクールな選択肢」なんてありえない。本を読めば読むほど偉いなんてのは、有り得ないんだ。本を読むのが得意な私みたいな奴は、いっぱい本を読んで、その内容を他の人にわかりやすく伝えれば良いし、体使うのが得意な人は、汗かき仕事で頑張れば良い。適材適所でええですよ。

 明るい未来への正しい航路を示した海図なんか存在しませんや。古代ポリネシア人と同じく、海図無し六分儀無し方位磁針無しクロノメーター無しで、広大無辺の未来の大海へ乗り出していくしか無い。そんな時、古代ポリネシア人はどうしたか。失敗したと思ったらさっさと偏西風に乗って引き返した。そして次の航路をまた探っていった。命を落とす奴も当然いたでしょう。スチャラカと言えばスチャラカだ。しかし、後から全体として見れば、彼らはポリネシアの隅々まで探索し、植民することに成功していったわけでね。

 私は、それで良いと思ってます。やらない善よりやる偽善のがおそらく正しい。ホワイトバンドが失敗したと思ったら、そこで引き返せ。どんな慈善事業にだって利権はある。腐敗もある。不正義も不義理もありますよ。いや、そういうものが一切無いほうが不気味です。ありえね~。社会学者(だと思う)の須原一秀さんは、そういうものが一切無い社会のほうがヤバいと指摘していますね。かつて、「正しい知識」に基づいた潔癖な理想社会を目指したのがヒトラーやスターリンや毛沢東だったと。それぞれ数千万人をその手の理想社会の実現の為に殺した人物ですな。

 あとねえ、革命を起こすのに全体の構造を知っている必要なんか無いです。放火だってそうでしょ。然るべき所に火をつければ勝手に燃え広がって全体が炭になる。ホクレア号だって1976年にタヒチに向けて出航した時に、これがポリネシアに革命を起こすことになるなんて思っていなかったでしょう。全体の構造を知らないとダメなんて言うのは、「(本来ありえね~)全体の構造」を売ることで商売したい学者だけ。

 私たちに必要なのは、ウェイファインディングの技術を磨くことです。限られた情報から現在位置を推測する力。引くか進むかを決断し、その決断を信じる力。有り得ない「全体の見取り図」を待ち続けて繰り言を並べるよりも、胆を括って船を出しましょう。そして、失敗を繰り返しながらでも、ウェイファインディングの技術を磨きましょう。

 辛口評論家などクソ食らえです。
 たとえ偽善者と呼ばれても、マシな未来はきっとあっちの方角にある。