大切なもの(だと思っているもの)を放棄する勇気

 それにしてもキリバスの件は鬱な話ですね。一国の元首が自国は近々消滅する(しかも自国が何ら責任を問われないような地球規模の環境問題で)と明言するというのは、余程のことですよ。

 私は思うんですが、これから先、人類が生き残っていくにはどこかの時点で極めて重大な決断をするしかないと思いますね。例えば「自動車を8割減らす」とか「人口を4割減らす」とか。日本国に関して言えば、私はもう人口減が続いて構わないと思います。日本列島史において人口が1億を超えたのなんてたかが数十年前ですからね。

 それじゃ日本の国際的地位が低下する?

 んなこたあない。だって世界で国民一人あたりGDPのトップクラスに名を連ねているのは、アメリカや日本を除けばスイスとかルクセンブルクとかアイルランドとか小国ばかりっすよ。

 年金財政が破綻する?

 年金が破綻する方が地球が破綻するより良いぞ、私は。年金を全部ご破算にして年金財源を今みたいな保険料定額方式じゃなくて基礎部分を税金負担にすれば、何とかなるでしょう。それなりに阿鼻叫喚にはなるでしょうけど、上に居るのが竹中平蔵や小泉純一郎みたいな「弱者はつべこべ言わずに死ね」型政治家じゃなければ、事態は収拾出来る。

 自家用車を8割削減だって良いぞ。火力発電全廃で原子力発電の割合を9割にするんでも良い。お前は気が狂ったのかって? カーシェアリング(コミュニティ単位で自動車を時間貸しする制度)とレンタカーと公共交通機関の整備を組み合わせれば何とかなるって。もちろん私は我が家の地下1000メートルに高レベル放射性廃棄物の最終処分場を建設するって話になっても応相談ですよ。それくらいの覚悟は済んでいる。

 こういう話があります。時は15世紀、場所はグリーンランド。この島には10世紀以降ヴァイキングの植民地がありました。ところがこの植民地は15世紀中に消息不明になり、おそらくは全滅したと考えられている。その理由は簡単。食糧不足です。植民地の中でも最も裕福な農場に限れば、持ちこたえられるだけの食糧は備蓄されていたし生産出来たはず。ですが、植民地全体が飢えた時にどうなったか? 推測されているシナリオはこうです。飢えた人々が「最も裕福な」農園に殺到して残っていた食糧を食べ尽くし、そして全ての人間が共倒れになった。

 おわかりでしょうか。たしかに日本は大国で世界でも(非正規雇用にしかありつけない不幸な1割5分の世帯を除けば)有数の豊かな国です。ですが、他の世界全体が飢えた時、日本に食糧が回ってくると思いますか? あり得ない。アメリカだってそうですよ。飢えた中南米から難民が億の単位で国境線を突破していったら、いくらアメリカ軍だってどうしようもありませんや。

 航海カヌーと同じです。地球のクルーだって一蓮托生。1割の特権階級が平和のうちに生き延びて邪魔な9割が黙って飢え死にしてくれるなんて、絶対にないですからね。良くて第3次世界大戦だ。

 だからもう、「これを無くすなんて考えられない」何かを放棄してでも、生き延びる途を探る段階だと思うわけですよ。キリバスの人々なんか国土を放棄してでも生き延びるかどうかって話になってるんだから。自家用車を放棄するくらい、可愛いもんでしょ? 真夏に長袖の背広着てクーラーきかせてるなんて気違いかよって時代は、多分来る。

 最後に黒い笑い話を。その全滅したグリーンランドのヴァイキングたちは、何故かどれだけ飢えても魚介類を一切口にしなかったんだそうです。目の前の川や海には美味しい魚がわんさか泳いでいるってのに。また同時期にグリーンランドに居たイヌイットたちから、アザラシを狩る技術も学ばなかった。シーカヤックに乗って海で食糧を得る技術も学ばなかった。それを学んでいれば彼らは生き延びられたはずです。だってイヌイットは生き延びたんだから。

 滅びたヴァイキングがどうしても捨てられなかったもの、それは「魚なんて食い物じゃない」という信念であり、「イヌイットなんか人間じゃない」という信念だったというオチ。