「同情するなら金をくれ」でしたっけ?

 今日翻訳させていただいたすっげー長文の記事(こっちは土曜だってのに!)には、横浜でのシンポジウムの論点と直接関わるようなものが沢山出ていました。

 中でも私が重要だと思ったのは二つ。ホクレアのクルーが日本の鄙辺に今も辛うじて残っている、少し昔の生活風景や工芸の価値を知り、それに対して荒木さんが過疎の問題を語ったという話。そしてアンクル・マカの言葉。

 荒木さんや内野さんは、ホクレアによって日本の若者が自分たちの伝統文化の価値に気付いてくれればと言っておられるそうです。ちなみにお二人は30歳前後、私は少し上で35歳。私も日本の伝統文化は大好きですが、その価値に気付いたのは20代後半でしたね。20代後半くらいからですかね、そういう方向に意識が向くのは。この問題についてはかのサタワル島でもちょっと難しい部分があるようで、これはシンポジウムで林さんのお話を是非聞いてください。

 話を戻しましょう。私が周防大島で京都から来られた若い女漁師さんに出会ったように、現代日本の都市に育った人間だって鄙辺の生活の良さは解りますよ。でも、お金を稼ぐことが出来ないとダメなんです。所帯持って子供作って育てるにはお金が必要。私の乱暴な理解では「日本の田舎を殺さない為には田舎にしっかりしたキャッシュフローを成立させる必要があるし、それ無くしてはどんな立派な理想も絵に描いた餅」です。

 まあ、都市部以外へのキャッシュフローをという話になると、公共事業の問題とか貿易自由化の程度の問題など要するに現代日本の抱える政治上の難問の核心になってしまうわけで、4時間のシンポジウムで結論なんか出るもんじゃありません。とすると論点を更に絞り込む必要がある。伝統文化や農村・漁村・海村・山村の生活様式は残したい(だってなんか良い感じだから)。その為には田舎にお金を回さないといけない(そういう時代だから)。でも土建系公共事業の大盤振る舞いという時代でも無い(効率が悪かった気がするから)。そこまでは問題無いでしょう。その先だな。

 いや、何でも良いと思うんですよ。末永くそれで商売出来る産業があれば。あるいは生まれれば。例えば私はどちらかと言うと原子力発電所は増やさない方が良いと考える人間ですが、原発があることでその地域にドカンと現金が流れ込んで、それで生計が立っている人も居るのもまた現実。その地域に一定の合意が成立していて厳重な安全管理が為された上で原発や原子力産業を呼んで、それでキャッシュフローを生もうというのなら、それもまた一つの選択でしょう。現に六ヶ所村や東海村はそういう選択を(現在の日本の民主主義の手続きに則って、満場一致では無いけれども)したと私は理解しています。

 まあ、原子力産業で町興しってのも中々難しい問題が色々ありますから、決して私個人が推奨する選択肢ではありません。もっと良い感じの町興しは無いかと考えてみたら、実はシンポジウムに来られる方で一人、そういうことに既に取り組んでいる人が居るんです。藤崎達也さん。藤崎さんは今は知床に住んでおられますが、出身は私が今住んでいる地域、つまり多摩。それがある時一念発起して北に渡って観光業に取り組んだ。最近では知床以外にも招かれて、観光プロデュースのようなこともやっておられる。例えばこれです。

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 藤崎さんは岩手県の寒村に残されていた漁業文化を観光資源として再定義されたんですね。この「番屋群」なんてのはホクレアのクルーを連れて行ったらきっと萌える場所ですよ。ただ、地元の方々はその魅力に気付いていなかった。都会育ちで洗練されたビジネスマインドを持つ(元商社マン)藤崎さんとの協働によって、それが「化け」つつあるのでしょう。

 誤解して欲しく無いのですが、私は「これからの日本の田舎は観光しかない」と言っているんじゃないんです。そうではなくて、今後、日本の田舎のちょっと古い生活様式や伝統文化、工芸などを保存していくにはそこへのお金の流し方を真剣に考えなくてはいけないし、それはそれぞれの「田舎」の地元の方だけが考えることでも無いだろうと言いたいんです。他所の知恵を取り入れても良い。他所から資本を入れたって良いでしょう。

 ただし、その際に大切なのは、あくまでも主体になるのは地元であり、そして地元の流儀を基本に置かなければいけないということ。でないと真にその土地に根ざした産業にならない。どこぞのビーチリゾートみたいに外部の資本が商売をして、儲けも全部外部に出て行ってしまう、そしてリゾートの内と外は何の繋がりも無い・・・・というような寒い状況になってはいけませんからねえ。

 そこで面白いのが拓海広志さんのお話です。拓海さんはバリバリの国際派ビジネスマン。元商社マンで今は世界最大の物流会社にお勤めですから、お金の話は強いです(笑)。その拓海さんがかつてヤップ島という、ミクロネシアの中でも特に伝統文化の影響が強い土地の「村起こし」に関わった。何百万円というお金も動いた。その際に拓海さんが採った手法というのが、これまた非常に参考になる。周防大島で飲みながらこの話を伺ったんですが、正直この話だけで2時間くらい使っても持つくらいの物語があります。これもまたシンポジウムでのお楽しみということですが。

 おわかりでしょうか。今回私が藤崎さんや拓海さんに出席をお願いしたのは、それぞれお二人がヤップ島や北海道島で伝統カヌー復活に関わっているからだけでは無いんです。都会と田舎の文化的かつ経済的な協働の実務経験があるから。お金を集めたり稼いだり使ったりすることの難しさをご存じだからなんです。夢を見ているだけなら何だって空想することは出来ます。でもいざその夢を形にしようと思ったら、お金の問題は絶対に避けて通れない。いかに集め、いかに管理し、いかに使うか。お二人の経験を聞いておくことは、絶対に私たちの知恵の滋養になりますよ。

 マカさんの話は次回ね。それと出航延期で時間が出来たせいかブログがバカスカ更新されてますけど、申し訳ない、あれは今日中には訳しきれません。長文記事多すぎ。