富士五湖とその先のタヌキ湖を比較すると、これからはタヌキ湖が伸びそうだと思う理由(山中湖編)

富士山のあたりで9日間の休暇を楽しんで来ました。

我が家は夏休みは毎年、自家用車にキャンプ道具一式を積み込んで漠然とした旅に出ます。初日のホテルだけ取っておいて、あとは現地で気が向くままにキャンプして、気が向くままに移動して、遊んで、帰ってくる。
今年はその行き先を「富士山」に設定しました。富士山。妻も私も息子も、これまでの人生、横目で眺めて通過するだけの山でしたが、いざ近寄ってみたらどんなものなのか。
予想通りのところもあれば、大きく予想を裏切っていたところもありました。先に結論をまとめると
・富士五湖エリアは昔ながらの二泊三日の観光地
・田貫湖エリアは場合によってはこれから化けるかもしれない観光地
です。
順番に説明しますね。
まずは富士五湖について。
富士五湖って有名なフレーズですが、東京に住んでいても案外よくわかっていません。私ら夫婦の場合は「軽音楽部の夏合宿であの辺行ったよね?」という程度。私は1990年の夏に行った。河口湖だったか山中湖だったか憶えてないですけど行った。妻はその翌年。
でも、大学に集合してみんなで移動して、現地では宿と練習場を行き来するだけで、またみんなで移動して帰ってくるので、どこだったのか全くわからんのですよ。本当に。
富士五湖にはそういう使われ方があります。しかも大きいです。特に山中湖エリアです。

山中湖は80-90年代的なサークル合宿エリア。

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これが山中湖。雲の中には富士山があります。その裾野は自衛隊の北富士演習場。

山中湖の周りをクルマで走っていると、大学の合宿所がいっぱい出てきます。東大、日大、専大、慶大。その周辺にはいわゆる「ペンション村」が広がっています。そしてテニスコートがいっぱいあります。すなわち、ココらへんは1980-90年代に「大学生のサークル合宿の受け入れ地」として発展したエリアということです。
テニスサークルが輝いていた時代。オールナイトフジで女子大生ブームの時代。私が今回泊まったペンションにも、当時の写真がいっぱい飾られていました(80年代女子への憧れが刷り込まれている私にはかなりストライク)。20時頃にコンビニに行ったら、夕食を終えて酒の買い出しに来た学生たちで、私がこれまで見たコンビニの中でも屈指の混雑状況だったりしました。
今も昔も夏の山中湖は学生なんですね。
それはそれで良いんですが、家族旅行の目的地としてはやることが何も無いので、我々は早々に山中湖を後にして忍野八海に向かいました。
(続く)
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