先住民観光と文化人類学者の苦悩(完結編)

http://blogs.yahoo.co.jp/hokulea2006/5440772.html
(から続く)

 やっと先住民観光の話になりました。

 先住民観光って何? そう思われる方もいるでしょう。例えばポリネシア文化センターですよ。タヒチアン・ダンス・ショーでも良いです。マオリのカヌーで行くエイベル・タズマン国立公園1泊2日の旅でも良い。

 非常に大雑把に言えば、アメリカ白人や本州人や漢族のような強い武器と巨大な人口を持つ民族のショバの近所に居る、そういう強い民族がやって来る前からその辺りに住んでいた人々の文化を見に行く・見に来て貰う旅の事ですね。

 例えば私たちがニューヨーク、マンハッタンに行く。花の都パリへ行く。これはまあ、どちらも日本に負けず劣らず強い民族の土地ですから、フツーに観光していてあまり問題は起きない。ところが、ともするとそういう強い民族の文化に圧倒されてしまうような腕っ節の弱い民族の所に物見遊山に出かけるとなると、色々とビミョーな問題が出てくるわけですな。あんまり大勢で押し掛けても迷惑だろうし、かといってあまり人が来ないのも困る。観光は貴重な現金収入をもたらすものですからね。現代ではどんな民族だって否応無しに貨幣経済に関わらざるを得ないんだから、出来れば森を潰すとか海を汚すとかしないで現金をゲット出来た方が良い。

 その辺りの匙加減は大変にビミョーで、どうしたら良いんだという結論はまだ出ていないようです。

 それともう一つね。文化を売るという事は、それまで商品じゃなかったものを商品にしてしまうんですから、どうしても商品として見栄えが良い方に文化が変質しやすいんです。観光客が押し掛けた結果、その土地その民族の文化そのものが変質してしまう。それってどうなのよという問題がある。

 吉岡さんが『反・ポストコロニアル人類学』の7章で考えているのがこの問題です。特に吉岡さんはメラネシアがフィールドですから、ハワイやタヒチのように、大規模な観光産業が成立している所とは違った問題点を見るんです。ハワイにしろタヒチにしろ、観光客が入って来て良い所と悪い所がある。ポリネシア文化センターはオッケー。ビショップ博物館はオッケー。でも、本物のヘイアウ(古代の祭壇)で行われる儀式はNG。航海カヌーのデッキの上も概ねNGでしょうね。そういうものは見せ物じゃなくて、彼ら自身のアイデンティティ確認の為の場所であり儀式であり道具なんですから。そういうものを売るってことは彼らのアイデンティティを売るってことで、ちょっと有り得ない。

 山口智子さんの『反省文:ハワイ』でも、先住ハワイアンの儀式に参加した時に、最初は冷ややかな視線を浴びたという話が出てきます。観光客向けのハワイではない、売り物じゃないハワイに入り込んで来て、いったいどうしようというのか。こんな所まで商材を探しに来たのかという視線です。

 おわかりのように、ハワイくらい大規模にやっていれば、観光客向けの場所と先住民だけの為の場所を分けておくことが出来る。しかし、メラネシアではそういった事が今のところ出来ない。観光客を、生の生活がある所まで入れざるを得ない。とすると、観光客の影響が先住民の文化を直撃してしまう。

 そういった時に、先住民観光は、先住民の文化をどう「見せ」るのが良いのか。これが吉岡さんの問題設定です。

 メラネシアでは、例えばニューギニア島に「人食い族」を見に行くというのがある。もちろん、今では人食いなんかしていないけれども、観光客向けに「人食い族」を演じて見せる。自分たちの生活の場でね。それでお金が落ちる。けれども、「人食い」は、そういうものを見に来る観光客にとっては、「人倫にもとる行為」であって、いまだにそういう事をやっている人々を見に行くというというのは、殆ど珍獣を見に行くようなもんですね。

 相手を対等で尊厳ある人間として見ていない。

 これはちょっと品が無い。下品なのは「2ちゃんねる」だけで、もうお腹いっぱいですよ、ええ。吉岡さんのウェブサイトには、そういう下品な事をして平気なマスメディアとの戦いの記録もある。

http://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Ibunka/kyokan/yoshioka/yoshioka-tv.html

 ね。カネさえ払えば相手の人間性を買って良いのかって話ですよ。観光客に売る文化は変質するという前提に立つと、ポリネシア文化センターのように「見せ」に特化した「店」じゃない、いわば自分の家の居間で珍獣ショーをやれば、どうしたって文化そのものが珍獣ショー的に変質するとなる。

 そこで吉岡さんは、「未開」とか「人間未満」みたいな珍獣イメージを商品にするのはもう止めようよという提案をしているのです。ここで絡んでくるのが、昨日念入りに説明した「本当のこと」はいっぱいあるというお話。

 たとえ、西洋人が来た後に「発明」された伝統であっても、その伝統を伝統として大切に取り扱っている人にとっては、それは「本当の伝統」です。いや、伝統文化以外だって、本物の人間が生活している場には、「本当のこと」がいっぱいある。

 むしろ先住民ツーリズムが売り物にすべきは、そういう、今を生きる先住民たちにとっての「本当のこと」なのではないか。吉岡さんはそう主張しています。たしかに珍獣イメージはわかりやすいから、売るのは楽ですよ。でも、自分たちの生活の場で、自分たちの尊厳まで売り飛ばしてしまう、あるいはそういうものをカネにものを言わせて買い取るよりも、後味が良いじゃないですか。

 以前私は、こう書きました。

「異国異文化の文物をパクって来ても、それに魂が宿る場合が一つだけあります。

 それは、新しく移された先の土地の風土や歴史や生活様式に合わせて手直しされ、その土地の人々の暮らしに真に役立つものとなった場合。」

http://blogs.yahoo.co.jp/hokulea2006/1916334.html

 私は、ことさらに珍獣イメージや前近代イメージを売らなくても、現在の先住民の本物の生活のなかに、観光客がエキゾチックだなと感じるものがいくらでもあると思います。だってそうでしょう。ジェイク島袋だってパニオロ(ビッグアイランドのカウボーイ)だってホクレア号だって、バリバリにホンモノのオーラ出てるじゃないですか。ウクレレも牛もグラスファイバーも近代になってからハワイに持ち込まれたものなのにね。

 相手の人間性をカネで買う(うわ、こんな遅れた生活してる人たちいるんだ~)観光から、相手の人間性を賞賛しに行く(うわ、こんな凄い人たちいるんだ~)観光へ。

 これからの先住民ツーリズムは、そんな感じでいくのが良いんじゃないでしょうか。

 というわけで、3回に分けてお送りした先住民観光の話に合わせたわけでもないでしょうが、藤崎達也さんのウェブログにナイスタイミングでこんな告知が。

「シレトコ先住民族エコツーリズム研究会」
http://shinra.upper.jp/blog/archives/000435.php

 7/1にはアイヌ・アートプロジェクトによるアイヌの伝統カヌー復元のスライド報告もあります。

 さすがに北海道は遠くてのぞきに行くわけにゃあいかないですが、日本国内にも先住民観光をどうするかという問題は明らかにあるってことだけ、とりあえず憶えておきましょうよ。