「やっとガスで料理出来るようになった! 」

 今日アップされた公式ブログ。マイク・テイラーさんのコメントに次のようなフレーズがありました。「俺たちは、やっとガスで料理出来るようになった!」。これ、どういう意味なんでしょうね? 

 あくまでも推測なのですが、こういうことではないかと私が思うのはですね、要するにタッキングをしている間は船が傾き過ぎていてガスコンロが使えなかったのではないかと・・・・。

 つまりですよ。おそらくカマ・ヘレはホクレアやアリンガノ・マイスよりも風上への帆走能力は高いでしょうから、詰め開き状態(帆を全開にして限界まで船を傾けて風上に向かっている状態)にまではならないまでも、それなりには船を傾けなければならない。そんな状態での帆走を丸2日間くらいしてたわけですからね。久々にガスコンロが使えて嬉しいぜって話なんじゃないかなと思うのです。

 この風上への帆走能力ですが、ポリネシア式の双胴の帆走カヌーにこの能力が備わっていることが近代以降、初めて研究者によって確認されたのは、1966年でした。場所はカリフォルニア州サンタ・バーバラ沖。ポリネシア航海協会を後に創設することになるベン・フィニー博士が、研究助成金を当てて双胴の帆走カヌーを作り、勤務先だったカリフォルニア大サンタ・バーバラ校の沖で風上に向かって走らせてみたところ、流石に最新鋭のレーシングヨットとは比べ物にならないまでも、充分に風上に進めることが判ったんですね。

 翌年、この実験船はホノルルに運ばれ、「ナレヒア」と名付けられます。名付け親はマリー・カウェナ・プクイ女史。ハワイ語研究の大家だった方。そしてベン・フィニー博士はハーブ・カネ画伯、故チャールズ・“トミー”・ホームズ氏とともに「ポリネシア航海協会」を設立。今度は遠洋航海にも使える大型の双胴帆走カヌーを建造しようと目論むのです。

 こうして生まれたのがご存じのホクレアですが、この船のデザインに関しては色々と面白い逸話があります。ハーブ・カネ画伯が基本的なデザインを作ったこの船、実は当時考えられる最高の性能を持ったポリネシア式航海カヌー、では無かったのです。どういうことか。ハーブ・カネ画伯がデザインに取りかかったのは1973年か74年だと思いますが、これは古代のポリネシア人がハワイ諸島やラパ・ヌイやアオテアロアに植民してから数百年、下手をすれば1000年も経っている年です。そしてこの間には、ポリネシアの各地でさらに技術革新もあった。

 例えばトンガではミクロネシア系の技術を取り入れて、船の前後が無い(どちらも船首となりうる)双胴の航海カヌーが建造されるようになっていました。帆形もクラブクロウ・タイプよりはラテン・セイルに近い、ミクロネシア風のもの。そしてミクロネシアの航海カヌーと同じように、帆の根本のソケットを抜き差しすることで簡単に船の前後を入れ替えることが出来た。

 船胴の形状も変化していましたね。風上への帆走能力を上げるにはヨットのようにセンターボード(船底から垂直に降ろされた板)を付けて、船の横流れを防ぐのが最も効果的です。あるいはそこまでしなくとも、船胴を深いV字型に成形しておけば、それだけで風上への帆走能力は上がる。ですが、ハーブ・カネ画伯は敢えてV字をきつくしなかった。これは、1000年前の性能を再現したかったからなんです。

 サイズについても、古代ポリネシアでは全長30メートルを超える航海カヌーが当たり前のようにありました。長さだけでホクレアの1.5倍です。当然、より多くの荷物と人を乗せて、より大型の帆を張って走ることが出来る。ですが、ハーブ・カネ画伯は敢えて全長20メートル弱に留めた。というのも、いきなり全長30メートルの航海カヌーを建造しようとしても、建造技術も無いし操船技術も無かったのです。船胴と船胴の幅も敢えて狭くした。積載能力や帆走性能は下がりますが、剛性は上がるからです。つまり安全性が上がる。

 船胴と船胴を繋ぐクロス・ビームは凸型になりました。前から見るとこんな感じ。

U⌒U

 この反りは、キャプテン・クックの船団に参加していた画家がハワイで描いたスケッチから取り入れたそうですが、いざホクレアが完成して海に出てみると、ちゃんと意味があったことがわかりました。ポリネシアでも特に波が荒いハワイ周辺では、こうやってデッキを海面から高くしておかないと波がじゃんすかデッキの上に来てしまうのです。また船胴の前後のマヌ(反り上がった部分)もハワイアン・デザインなのですが、あれもまたハワイの荒い波に対応したデザインでした。マヌを高くしておくと、波を切って進む能力が上がるということなのです。

 そういう訳で、この度マウ老師に贈られるアリンガノ・マイス、実はポリネシア式であると同時にハワイ式といってもいいデザインになっておるのです。特にあの反り返ったマヌね。あれはポリネシア航海協会を創設した3人がハワイに復活させたハワイアン・デザインと言って良い物なんですよ。