今、『Tarzan』のホクレア特集を読了しました。気になったのは2点。
まず、内田さんがサバニだけを挙げて「日本のカヌー」として、「サバニの文化が復活すれば自分たちが忘れている何かが復活する」と書いておられますが(99ページ)、これには私は同意しません。これは何をもって「カヌー」とするかという話にも関わってきますが、少なくとも日本列島の伝統的木造船でサバニのみにあって他の地域のものには無い特徴は2つだけ。「沖縄で作られていること」と「サバニと呼ばれていること」。
木製サバニが現在のようなハギ舟(丸太を刳り抜いた舟ではなく、いくつかの部材をハギ合わせた舟)になったのは明治以降のことですが、その基本的な構造は、ハギ舟のサバニに先行して日本列島各地に存在していた和船のそれに非常に似ています。つまり構造面からサバニを特権化することは出来ない。伝統的な小型の和船は、例えば美保関の諸手舟や男鹿半島のエグリブネ、琵琶湖の丸子船など、半ば文化財扱いですが日本列島各地にまだある程度は残っています。つまりサバニだけが日本列島に残った唯一の伝統的木造船であるとも言えない。
すなわち、木製サバニさえ生き長らえれば日本列島が忘れかけた何かが復活するとは私は思わないということです。出口晶子さんの渾身の一冊『丸木舟』(法政大学出版局、2001年)において詳細に分析されていますが、日本列島の伝統的木造船は、近隣と活発な技術交流を行いつつも、それぞれがその使われる場所の特性に最適化されたものとして発展してきています。サバニは南西諸島の舟でしかありません。日本海で網引きをやるんならドブネが要るし、男鹿半島ならば極厚の丸木舟が必要になる。一方で内水面ならばサバニではなく高瀬舟や丸子船が最適です。内田さんもサバニが最高とかサバニだけが特別とおっしゃりたいわけでは無いのでしょうが、しかしここで敢えて私は雑音を発しておきます。
また、同じく出口さんの分析によれば、日本列島の伝統的木造船は、その構成要素から見ると東北の北半分より北、本州・四国・九州、南西諸島より南という三つのエリアに分けられるそうです。そしてそれぞれのエリアの船は、周辺地域(当然ながらユーラシア大陸も含む)の船と多くの要素を共有している。例えば艪という推進具は中央地域に極めて特徴的であり、南北の地域には殆ど見当たらない。そしてまた艪は中国や東南アジア、朝鮮半島などユーラシア大陸からもたらされた技術であろうと。
とすれば、内田さんが102ページで書かれている「大陸にカヌー文化はあまり見当たらず」という指摘には大きな疑問符が付く。
出口さんは書いておられます。日本列島各地に残った丸木舟を、古代の文化の残滓と見てはならないと。それらの丸木舟は、構造船や準構造船の技術をも考慮しながら、敢えて積極的に選び取られた舟なのであって、そういった意味では優れて同時代的な舟だったということです。日本列島の丸木舟は、つい最近まで生き長らえた「縄文」などではなく、大陸との活発な文化交流や列島内での技術の進展の真っ直中にあって、なお「丸木舟であることが性能面で最も合目的的であった」から、丸木舟であり続けただけなのだという話です。
私は、日本列島の歴史のある部分を否定する形でホクレアを迎える必要は無いと思っています。弥生式農耕が開始されてから2000年。この間の祖先たちの営みもまた、大切な私たちの歴史であり、私たちが受け継ぐべき遺産でしょう。そういう観点から、今回の内田さんの立論には疑義を挟む必要があるのではないか。そう思いました。