もう少し西へ

イメージ 1

 大内青琥さんの訃報を機に、もう一度『おじいさんのはじめての航海』を読んでみました。

 この本は読ませどころ満載の名著なのですが、今回私が注目したのは、ヤップ島を出て北に向かったペサウ号の航海のディテールです。ペサウ号はユリシー環礁をかすめてグアムに向かい、そこで1ヶ月の風待ちをしてから小笠原を目指しました。

 まずは北東に向かい、そこから真北に向かうルートです。

 この時、航海士を務めたガアヤンさんを始終苦しめたのが、西からの風でした。ヤップ島のカヌーが沖で流されるとたいていはフィリピンに漂着すると言われていて、もともとユリシー環礁やグアムまで行くのは難しいのです。ガアヤンさんにとっても始めての遠洋航海でしたから、マウ・ピアイルグ師やレッパン師のようなレベルの航海士でしたら、もう少し別の展開があったのかもしれませんが、ともかくペサウ号は常に西に流される危険と戦いながら北上していったのでした。

 ここでお話は一気にホクレア号に飛びます。

 ホクレア号は来年、ミクロネシア航海を行います。サタワル島までは必ず行く。その先どうするかで悩んでおられるというわけです。ハワイに帰るか、南に向かってアオテアロアを目指すのか、北に進路を向けて日本に来るのか。

 アオテアロアに行く場合は、サタワル島からならそのまま南に進んで、ソロモン諸島まで行けば、そこにはヴァカ・タウマコ号という航海カヌーがあり、テヴァケ師の住んでいた島であるタウマコ島があります。ホクレア号は始めて外逝きポリネシアを訪問する事になるかもしれません。

 そこからはトンガあたりまで一端東進。それで以前、北島へと向かった航路に入れるでしょう。

 悪くない。

 じゃあ日本に行くとしたら、どうなるのか。

 サタワル島からそのまま日本に向かうのであれば、この海域の西流れを利用して、北に船首を向けておけば、勝手に北西のサイパンの方に船は進みます。そこから島伝いに小笠原へ。小笠原にはかつてハワイの先住民が移民してアウトリガー・カヌーを伝え、現在でもこの島ではアウトリガー・カヌーが伝統的な船として用いられています。そこから伊豆諸島沿いに駿河湾へ。タイガー・エスペリさんが愛した鎌倉の町があります。

 それも悪くない。

 ですが、私は別の希望を持っています。もっと西へ行かないかなあ、と。もっと西、ヤップ島まで。ヤップ島はこれまでに2艘の伝統的航海カヌー「ペサウ」「ムソウマル」を建造した島です。航海カヌー文化復興運動はヤップ島にも届いています。残念なことに「ペサウ」号に関わった誇り高き2人のリーダー、ガアヤンさんとタマグヨロンさんは亡くなってしまいましたけどね。

 それで、そこからさらに西へ流れてみるというのはどうでしょうか。ヤップ島の西にはフィリピンがあります。フィリピン中部、漂海民の海であるスールー海やマカッサル海峡を訪ねてみてはいかがでしょうか。後藤明さんの説によれば、漂海民こそがリモート・オセアニアの航海カヌーの民の原型なのです。

 フィリピンから北に行けば台湾島です。ポリネシア人の源境と目される島です。台湾まで来たら、沖縄はもう目の前。

 ね。せっかくサタワル島まで行くんなら、その先にあるカヌーの島々まで足を伸ばしてみましょうよ。いかがですか、ナイノアさん。

==

 画像はヤップ島の航海カヌー「ムソウマル」号。ただし現地では「アルバトロス」号と呼ばれている。1994年5月にマウ・ピアイルグ師が船長を務めてパラオまで往復。石貨を3つ作って持ち帰った。この航海には日本人クルーも1名同行。