世の中には二種類の人間がいる。船酔いする人間としない人間だ(私は後者)。

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 かなり前に手に入れていたんですが、紹介すべきかどうか迷っていた本。やっぱり紹介しとこうと思いましたので。

Sean MacGrail, Ancient Boats in North Western Europe: The Archaeology of water transport to AD1500, Longman ,1987.

 タイトルで解るように、北西ヨーロッパの15世紀以前のボートについての・・・これは概説書どころのレベルではないな・・・・解説書かな? 

 ヨーロッパ人が書いた海事関係の本というと、欧米の船の歴史=世界の船の歴史みたいに思ってる本ばっかりで、正直読む価値があまり無い本ばかりなんですが、この本は違いますね。デヴィッド・ルイス先生の「We, the Navigators」だってちゃんと参考文献に挙がっているし、図版でも台湾とかアフリカとかオーストラリアとかアメリカとか、ありとあらゆる土地の小型船の写真や絵が出てくる。要するにヨーロッパ以外の船の発達史も追った上で、北西ヨーロッパの船の歴史を論じている一冊です。著者は英国海軍にも所属していた海の達人で、もちろん博士号も持っていて、この本を書いた時にはオクスフォード大の海事関係の部局の教授だった方。名前からしてケルト系ですね。

 ま、そんなわけで、この本は世界の小型船の歴史の中に北西ヨーロッパのそれを位置づけようという、世界的な視野を持った研究書と言うことが出来ます。
 
 何で私がこの本を紹介しようと思ったかというとですね、たしかに私はこれまでリモート・オセアニアの航海カヌー文化の優秀性を繰り返し紹介してきましたけども、それが最高だとか何だとか、神格化するつもりは全然無いんですよ。世界の他の土地にも素晴らしい船の文化はあるに決まってる。この本では、ティム・セヴェリンがホクレアの最初のタヒチ航海と同じ年に成功させた、革張り船によるアイルランド→北米航海の写真も出てました(そういえば拓海広志さんはティム・セヴェリンにも会ったことがあるって言ってたな。すげー。)。

 この本の72ページなんか面白いですよ。ブレーメン地方の渡し船の写真なんですが、二つの船体を並べて上にデッキを置いた、要するにダブル・カヌーですよ。20世紀初頭のブレーメン地方では、こんな船が普通に使われていたんだな。これね、俺は「人類みな兄弟」の証拠だと思いたいな。太平洋のド真ん中の古代ポリネシア人も、近代ドイツの百姓のおっちゃんたちも、船でちょっと多めのモノを運ぼうと思ったら考えることなんて同じなんだってね。な。所詮はみんなホモ・サピエンスよ。同目同科同属同種の動物仲間よ。

 276ページから始まる「Non-instrumental Navigation」の節では、古代のケルト人たちが口承で天体の動きや潮の動き、風の吹き方、島と島の間の距離なんかを記憶していたなんて話も出てますよ。いかにして彼らが、安全な航海の為に自然を研究していたかってことですね。

 私は思うんです。ケルト人やローマ人の一流の航海者をリモート・オセアニアに連れて行ったら、きっと一流の航法師になれたんだろうと。地中海から北海まで我が物顔で行き来したフェニキア人なんて連中は、まかり間違ってタヒチあたりに流されても、普通に生き延びられたんだろうなと。

 世の中には二種類の人間が居ます。船酔いする奴としない奴。船酔いするポリネシア人と船酔いしないポリネシア人、船酔いしない古代ポリネシア人と船酔いしない古代ヨーロッパ人。見方によっちゃあ後者の方が違いが少ないのかもしれない。

 私はヨーロッパの西の果て、アイルランド共和国のアラン諸島に行ったことがあります。海なんかグジャグジャに荒れてるし、海岸は剣山デスマッチみたいな岩場ですよ。そこでケルト人たちは100年前まで、革張りの小舟で漁をして暮らしていた。アラン・セーターの編み目が「海に落ちて顔が判別出来なくなった死体でも、どこの家の人間だかわかるようにするため」なんてまことしやかなネタ話で説明されるようになったくらいの海でね。

 そんな海で生きていた連中を、私はリモート・オセアニアのカヌー乗りたちと同じかそれ以上に尊敬してますよ。