今日は一日中、エクセルシートにデータを打ち込んだり、打ち込んだデータを解析ソフトにかけたりしておりました。数学ソフトがver.中2迄しかインストールされていない私の脳みそにはかなりの負荷がかかる作業なので、オーディオからは和み系の音楽です。チーフタンズ、カパケイリー、ナイトノイズ、カルロス・ヌニェス、アイリーン・アイヴァースなどなど。電気フィドルにワウとディストーションをかまして引きまくるアイリーン姐御のどこが和み系なのだとか突っ込まれると困るのですが、とにかくそういう気分だったのですね。
要するに、スコットランドとかアイルランドとかガリシアの伝統的音楽をもとにしたフュージョンです。
そんなようなものを次から次へと聴きながらふと思ったのですが・・・・たしかチーフタンズの「Long Journey Home」を聴いているときだったかな・・・・彼らの音楽というのは、基本的には「自分たちはどこから来たのか」「自分たちはどうやって来たのか」を語る音楽です。19世紀のジャガイモ飢饉で食い詰めて海を渡っていったお話や、バリケードを築いてフランコ将軍の軍隊と戦ったお話。あるいはボニー・プリンス・チャーリー(スコットランド軍を率いてイングランドに挑み、返り討ちに遭った人)の負け戦のお話。一言で言えば「記憶の音楽」。
こういった「記憶の音楽」は別にケルト系諸民族の専売特許じゃなくて、むしろ音楽の基本的なあり方の一つと見た方が良い。音楽がゲージュツになったのはごく最近のお話でして、それ以前は創世神話や建国譚や王統を記憶するとか、自分の住んでいる土地の作りを記憶するとか、とにかく憶える為に音楽を使うというのが色々な所で見られるわけですね。
例えばこの歌。
「まる たけ えびす に おし おいけ
あね さん ろっかく たこ にしき
し あや ぶったか まつ まん ごじょう
せった ちゃらちゃら うおのたな
ろくじょう さんてつ とおりすぎ
しちじょう こえれば はっくじょう
じゅうじょう とうじで とどめさす」
丸太町通りから十条通りまで、京都の中心部の通りの名前を順に歌い込んだ有名な歌です。
こうすると、何故か憶えられてしまう。
この歌の場合、通りの名前のアタマだけ使っているので、情報量は圧縮がかかっているのですが、それでも、この、どう考えても何の脈絡もない文字列が、歌にすることで記憶出来るんです。
これは、私たち人間の知覚の性質を利用した小技です。
私たち人間の神経組織は、こういったお互いに何の脈絡も無い情報の束に無理矢理にでも脈絡をコジツケて、知覚しようとする性質を持っています。主観的グルーピングという現象です。壁の模様を眺めていたら魔女の婆さんが浮かび上がってきたとかいう、あれね。
雑多な情報の中に脈絡を追加することで、情報を整理整頓してアタマの中にしまい込む。
面白いですね。
脈絡が追加されたぶん、情報量は増えているのだけれど、私たちのカラダに合った形の情報に加工されているから、憶えてしまう事が出来る。
ミクロネシアの伝統航海士が航路を記憶するのに使う「星の歌」も、考え方は京都の通り名歌とまったく同じです。そう考えると、何やら神秘のベールに包まれた北斗神拳の奥義みたいに見える伝統航海術も、少し身近に感じられますね。
・・・ここから先は余談ですが、実は、今日私がやっていたクラスター分析という解析も、考え方はこの脈絡追加の延長線上にあります。雑多な値を取る変数がいくつか集まって標本になっていて、さらにその標本が、人間の手に負えないくらい束になって散らかっている状態。例えば3000人分の年齢性別血液型身長体重スリーサイズ。そんなものを押しつけられても私たちは困惑するばかりですが、コンピュータを使って、年齢だの血液型だのの組み合わせが近いグループを探させて、5種類くらいの塊(クラスター)に仕分けさせると、何となく3000人の中にあるいくつかの傾向が見えてくる。
コンピュータは人間と違って雑多な情報を雑多なままに記憶出来ますから、それを利用して、私たち人間が理解しやすいように情報を加工させられるってわけですな。というか、どんな高性能コンピュータがあっても、最後には人間サイズに加工圧縮調理した情報を出力してくれないと、意味が無い。エクセルというソフトは、その辺で最後の詰めが甘いんじゃないかと、痛感した一日でした。
せめて基本的な関数のバグくらいは無くしてくれよ、マイクロソフトさん・・・・。