ホノルル・アドバタイザーをつらつらと眺めていたら、2年前にベン・フィニー先生がなさった投書を発見してしまいました。曰く、「ホクレアには限界がある」。
ベン・フィニー先生は、そのしばらく前にやはりホノルル・アドバタイザーに掲載された投書に言及しつつ、「たしかにホクレアは全ての人々を満足させているものではない。ただ、この船が過去およそ30年間に渡って成し遂げてきた功績は認めなければいけない」と指摘しておられます。この船が古代の航海術の認知度を飛躍的に高めたこと、文化復興のシンボルであり続けたことは高く評価されるべきであると。
では、この投書はホクレア号を擁護するだけのものかというと、さにあらず。さにあらずですよ、旦那。ベン・フィニー先生は続けて、30年前に自分が何を目指していたかを説明します。当時、ポリネシアの主要な島々には伝統的な航海士はおらず、外域ポリネシアでやっと発見した航海士はまもなく亡くなってしまった(テヴァケ師のこと)。だから我々はポリネシアの航海術と関係が深いミクロネシアからマウを呼んで航海士を務めてもらったのだと。
だけれども。実は。今、ポリネシア航海協会のウェイファインダーたちが使っている技術は、ポリネシアの古代の航海術のうち、ある部分を流用して現代的にアレンジしたものであって、古代のポリネシアには、まだまだ他にも驚くべき技術があったのだとベン・フィニー先生は指摘するのです。大事なとこなんで引用しますよ。
「だが、(ホクレアが復活させた伝統航海術に加えて)『風の羅針盤』の技術も(この30年の間に)蘇っていたならば、なお素晴らしかったことだろう。この『風の羅針盤』は、まだあまり広く知られてはいない技術である。だが、この技術は確かに存在している。コナ在住のマリアンヌ(ミミ)・ジョージ博士とコロソ・カヴェイア酋長が、メラネシアに残る小さな外域ポリネシアのタウマコ島でその保存に取り組んでいるのだ。タウマコ島ではまだ航海の伝統は死に絶えていない。まもなく彼らの剽悍な航海カヌー『テ・プケ』が再びムシロの帆を上げる。その時、我々は、ポリネシアの古代航海術の更に奥深い部分に分け入ることになるだろう。」
「風の羅針盤」。ベン・フィニー先生やミミ・ジョージ博士は「wind compass」と呼んでおられます。マウ老師がハワイに伝えた「星の羅針盤star compass」とは異なる技術です。デヴィッド・ルイスの「We, the Navigators」によれば、「風の羅針盤」はカロリン諸島の航海術にも見られるが、どちらかと言えばカロリン諸島の技術は「星の羅針盤」が基礎にあるもので、最も興味深いのはタウマコ島のカヴェイアが教えてくれたものなのだそうです。ミミ・ジョージ博士は、残念ながらルイスの記述は事実誤認があると(私宛のメールで)おっしゃっています。タウマコの「風の羅針盤」をきちんと記録するには、もう一度航海カヌーで何日間かの航海を行ってもらって、それに自分が同行しないといけないと。そして、マウ老師が持つ「星の羅針盤」とカヴェイア酋長の「風の羅針盤」の技術が再び出会う時、古代のリモート・オセアニアを駆けめぐった航海民たちの技術の全貌(に限りなく近いもの)が明らかになると、ミミ・ジョージ博士は考えておられます。
しかし、残念ながら、ポリネシア航海協会とホクレア号はもはやこういったことには興味を示していないとベン・フィニー先生は嘆いて、筆を置いておられます。
「もはやハワイの人々は、古代の航海術と伝統的な作りの船の能力を追求する意欲を失い、文化アイデンティティの復興と航海それ自体にのみ関心を向けるようになってしまった。(中略)しかし私は、かれらの船が近代的なヨットの帆に換えて再びハワイアン・クラブクロウ・セイル、しかもラウハラによって作られたそれを上げた所を見てみたいと思っている。ハワイは(伝統航海術の復興では遙か先を行く)タウマコを追いかけることが出来るはずなのだ。」