赤銅色の暗い満月

 もう1週間ほど前になりますが、私が出先から家に戻ってきて、玄関を開けようとした時のこと。ふと振り向くと、空に満月が出ておりました。満月。ただし、いつものピッカピカの眩しい満月ではなく、地平線の少し上に、赤みを帯びた色でのっそりと地味に浮かぶ、妖しい満月です。

 それを見た私は、色々なことを思い出しました。私があの赤く暗い満月を初めて見たのは、たぶん小学校に入るか入らないか、くらいだったでしょう。もう30年も前の話です。やはり春の宵に、田んぼの上にぼんやりと赤い月が浮かんでおりました。私はいつも見ている月とのあまりの色調の違いに驚き、別の天体が現れたのかとさえ思ったほどです。あの驚きはいまだに褪せないですね。

 それが30年くらい前。1970年代後半のお話でした。

 実は、私と同じ頃に、あの妖しい赤い満月に驚いていた人物がおりました。ハワイで。これがナイノア・トンプソンその人です。

 時は1977年4月末。前年に行われたホクレアの最初のタヒチ航海の後、ご存じのようにマウ老師はサタワルに帰ってしまっておりましたから、ハワイにはスター・ナヴィゲーションを使える人物は一人もおりませんでした。とはいえ、ホクレアを使っての実験航海は続けられており、この年には、古代のチャントの歌詞の分析から、古代ハワイアンがハワイ諸島のウィンドワード(東側)、リーワード(西側)のどちらのルートでタヒチに向かったかを探るプロジェクトが実施されていました。これをケアライカヒキ(タヒチへの路)・プロジェクトといいます。

 ウィル・カイセルカ先生の名著「An Ocean in Mind」は、ケアライカヒキ・プロジェクトでハワイの海を行くホクレアの船上から幕を開けます。

「 月が間違った場所から上った。
 これが、我々が出会ったきっかけだった。
 もう少し詳しくお話ししよう。それは1977年、ナイノアが350マイルに及ぶホクレア号の「ケアライカヒキ・リサーチ・プロジェクト」に航海士として参加していた時のことだった。月が、彼が予想もしていなかった方角から昇って来たのだ。ということは、彼はこれまで知られていなかった月の動きを発見したか、あるいは彼の知識が間違っているか、どちらかである。前者であることを期待しつつ、しかし後者であることを予想しながら、彼はホノルルにあるビショップ博物館のプラネタリウムに現れたのだった。もちろん、ホクレア号の上で経験した、あの忘れがたい夜に何が起こったのかを明らかにする為である。
 こうして1977年の4月、我々は30フィートのドームの中で、様々な惑星や太陽、月の動きを早送りで見る日々を過ごすことになった。」

 そう、20年前のナイノア・トンプソンは、月の動きの基本さえわかっていない若者でした。この時カイセルカ先生は、あの謎に満ちた赤い満月の理由を、ナイノア・トンプソンに次のように解説しました。

「 日曜の夕方には満月が空に昇る。通常、満月というのは明るく大きなものだ。しかしこの日の満月はそうではなかった。たしかに満月は出ている。しかしいつもの満月ほど明るく無い。よほど熱心な月の観察者以外は、月が昇ったことに気づかないほどの弱々しさである。
 何故、そんな現象が発生するのか。実は、この1時間前から、月は地球の影に入っていたのだ。だからこの日の月は明るくないのである。ただ、完全に地球の影に入っているにも関わらず、この日の月は見ることが出来る。地球の大気中を通過する際に弱められた太陽光が、月を銅のような色に照らし出しているのだ。日没後2時間もすると、月は地球の影から抜け出して、再び満月本来の輝きを取り戻す。」

 先週末、私が見た赤い月も、まさにその通りでした。夜、もう一度私が月を見た時には、月は夜空に駆け上って白く光り輝いておりました。