今日は本の紹介です。
星川淳『環太平洋インナーネット紀行―モンゴロイド系先住民の叡智』NTT出版、1997年
ご存じ、日本で最初にナイノア・トンプソンという人物を詳しく紹介された星川淳さんの本。アラスカやオーストラリアや屋久島、北米など、太平洋の周りにある土地で、先住民文化がまだしも残っている土地を星川さんが訪れながら書いたエッセイ。5章の前半がアラスカ先住民のカヌー文化復興運動、後半がホクレア号の話になっています。たぶん、『星の航海士:ナイノア・トンプソンの肖像』の原型になったのがこの5章の後半なんでしょうね。
内容的には、ホクレア号に関しては特に目新しい話はありません。この前年に池澤夏樹さんの『ハワイイ紀行』が出て、ホクレア号が日本語で紹介されたくらいの時期ですからね。むしろ前半のアラスカの話のほうが面白いです。
あと、これは北山耕平さんについても同じだと思うんですが、「高貴な野蛮人」思想がちょっと強いかな、というきらいはありますね。
「高貴な野蛮人」というのは英語で言えばnoble savege。自分たち以外の諸民族を野蛮人視するというのは、だいたいどこの民族でも同じなんですが、西洋人は何故かその「野蛮人」を、文明の毒に汚染されていない高貴な存在と考えたがる妙な癖がありました。彼らの宗教の創世神話が「知恵の実を食べた人間の楽園追放」から始まるのと関係あるのかもしれません。要するに、インドとか日本とかタヒチとかネイティヴ・アメリカンとかに、「知恵の実を食う前のアダムとイヴ」を見たがるんですよ。「近代文明には無い叡智を持った高貴な存在」と考えたがるのね。
どうも星川さんや北山耕平さんは、ネイティヴ・アメリカンに「高貴な野蛮人」を求めすぎているんじゃないかなあ、と私は思います。それが悪いとは言いませんが、ちょっと私自身はついていけないものを感じるのも事実。まあ、この辺は好みですからね。
ちなみに先住ハワイアン文化についても、クック船長が来る以前の時代のハワイを「高貴な野蛮人」の住む土地と勘違いして理想化して語る人もおられますが、古代のハワイにだって不正義も不道徳も差別もありましたからね。戦争だってやってたし。ハワイ王朝の人々が古代のカプ(禁忌)を順次取り除いていったのを見ても、古代ハワイアン自身にとっても決して古代ハワイが理想の社会ではなかったんじゃないかと思います。
これはベン・フィニーが「Sailing in the wake of Ancestors」で指摘していますが、今の先住ハワイアン文化復興運動は、決して古代そのままのハワイ文化を蘇らせる運動ではなく、古代のハワイ文化の良い所だけを取り入れて、現在そして未来に生かしていこうという、前向きな運動なんですよ。古代が理想社会だったわけじゃないというのは、忘れちゃいけないでしょうねえ。