今日もガリー・クボタ記者の記事が出ておりますが、内容的には特に目新しいものも無いので、公式ブログからリンクを辿っていただいて写真をじっくりと鑑賞していただけばよろしいかと思います。
ここでは少し私自身の感想をば。
まず今回こうしてポゥの儀式が行われたことについてですが、とりあえず「驚いた」というのが一番ですね。良い悪いを言う立場に私はありません。ポゥの儀式をハワイのウェイファインダーたちに施すというのはマウ老師ご自身の判断でなされたことですから。私の興味はマウ老師がどのような考えでポゥの儀式をすることにしたのか、そしてこの影響はどのように今後表れてくるのかという点にあります。
特に後者について現時点で言えることをまとめてみましょうか。
まず、モダン・ハワイアン・ウェイファインディングのマスターたちがワリユング流の航法師に列せられたということをミクロネシアの側から見れば、モダン・ハワイアン・ウェイファインディングがワリユング流の権威の影響下にあるということが確定したということです。技芸としてモダン・ハワイアン・ウェイファインディングはワリユング流の影響を強く受けつつも独立して存立していますが、最高位の5人のマスター・ウェイファインダーがワリユング流の航法師になったことで、グランドマスターとしてのマウ老師とマスターとしての5人という関係が形式的にも確定した。まあ、これまでもモダン・ハワイアン・ウェイファインディングの学習者はワリユング流の航法師であるマウ老師にも師事して来たわけですから、事実を形式が追認したということですけども。
逆にポリネシアの側から見ると、今回モダン・ハワイアン・ウェイファインディングのマスターたちがワリユング流の航法師になったということで、モダン・ハワイアン・ウェイファインディングという20世紀に創始された技芸もまた、ある種のものを手に入れたと言えるでしょう。
ここで観光学における操作概念を幾つか参照してみると整理しやすいかもしれません。
エドワード・ブルーナーという学者は、観光地の「ホンモノ」らしさを次の4つの要素に文化しています。
Verisimilitude(迫真性)
Genuineness(純粋性)
Originality(原初性)
Authority(権威)
迫真性というのは、それに接した人がどれだけそこにホンモノ感を感じるかという問題です(実際には99%フェイクでも良い)。純粋性というのは、どれだけ混じりっけ無しかということです。原初性というのは、そもそものその事物の出発点から途切れなく連続して来ているかどうかということです。権威とは、その事物に関連するモノ同士の相互比較において、どれだけの存在感を持っているかということです。
これまでモダン・ハワイアン・ウェイファインディングが強かったのは、迫真性と権威の分野でした。ご存じのようにポリネシアの航海術という点で今、研究者が最も注目しているのは、域外ポリネシアのタウマコ島の航海術です。こちらは古代から続いているものだし、外部の技術を接ぎ木したわけでもない。だからタウマコ島の航海術は純粋性と原初性においてモダン・ハワイアン・ウェイファインディングを凌駕していると言えます。
一方、モダン・ハワイアン・ウェイファインディングはそもそもが西洋の天文学とワリユング流航法術、ナイノア・トンプソンの創意工夫の3つが合わさったものですから、純粋性はハナから無いも同然ですし、原初性も無かった。しかしですよ。今回こうしてモダン・ハワイアン・ウェイファインディングのマスターたちがワリユング流の航法師となったということで、モダン・ハワイアン・ウェイファインディングは原初性をもある程度手に入れたと言えるでしょう。何しろワリユング流航法術から、モダン・ハワイアン・ウェイファインディングはワリユング流の分派であると認められたわけですからね。
では、モダン・ハワイアン・ウェイファインディングが原初性を手に入れたことの影響は、今後どのような形で表れてくるのか。これはまだ判りません。良い形で、つまり誰もが「あの時マウ先生がナイノアたちにポゥの儀式をしておいてくれて良かった」と思えるような形で出てくれば良いなと願うばかりです。
それと、蛇足ではありますが、今回の報道の全てがハワイの視点に立ったものだという点が、私にとってはかなり不満です。ミクロネシアの人々が今回のことをどう捉えているのか。これを知りたいですね。