ローズマリー・サトクリフ『剣の歌』を読んだ

おはようございます。

息子をおこしに行ったら布団を被ってクーラーをかけて寝ていたので、貴様ナメてるのかこの環境の敵がと蹴りを入れました。ナメてるのか。

昨日はサトクリフの『剣の歌』(Sword Song, 1997) を読了しました。サトクリフは1992年に亡くなっているのですが、これは彼女の遺稿ということになります。つまり完成稿ではないんですね。

ですから、他のサトクリフの小説に比べると整理されていないです。例えば終盤でリワラン(Rhywallan)というキャラの話題が出てきたときに主人公の青年ビャルニ(Bjarni)とヒロンのアンガラド(Angharad)は、あああのリワランねというように語っているのですが、実は作中ではリワランというキャラはここが初出です。

おそらくサトクリフはここから遡って、もっと前の方の章でリワランという悪役の噂話を入れるつもりだったんでしょう。

他にも、主要キャラの居場所がわかりづらいという問題もあります。

『剣の歌』はおおまかに言えば乱闘事件を起こして5年間の追放措置を受けた16歳のノース人の少年が、アイルランドやスコットランド各地で傭兵をやりながら成長して、最後にウェールズでヒロインを救って故郷に戻るという話です。しかしながら主人公の仕える主人は毎年変わりますし、遠征にもしょっちゅう行きますし、そんな伏線あったっけというエア伏線が回収されてたりします(あとから仕込むつもりだったと思われる)。

では『剣の歌』がつまらない小説かといえばさにあらず。

サトクリフは『第九軍団のワシ』に始まるフラビアン一族の物語では一貫して中世以前のブリテン島の生活、そして民族間の争いと融和を描いてきましたが、その壮大な物語の一部(全7作のうち時代順では6番目)として読むと、サトクリフが表現したかったことはエア伏線問題程度では損なわれていないのがわかります。

『第九軍団のワシ』では理解しあえない異民族だったピクト人が本作ではノルマン人と結婚していたり。

イタリア半島から「イルカの指輪」を携えてやってきたローマ人、マークス・フラビウス・アクイラの子孫はシリーズの中でケルト系のブリトン人やサクソン人たちと融合し、アーサー王に従って戦ったこともあったのですが(『落日の剣』)、本作で「指輪」を持っていたのはアイルランドの血を引くウェールズ人の少女アンガラドでした。この二人の子孫は11世紀のノルマン・コンケストをテーマにした『シールドリング』では、ビャルニが作った「剣の歌」とアンガラドから受け継いだ「指輪」をもってノルマン人と戦うことになります。

そういう大きな大きな物語の一部ということがわかっていると、「伏線回収」とか「わかりやすいストーリー」といった、昨今の小説書き子のためのお稽古塾みたいなところで教えているあれやこれやの優先順位はかなり下がる。

サトクリフの得意とする自然の描写や微細な感情の揺れと、民族間の反発と融合という巨大な流れと、それらを貫いていつも意外なところで一瞬だけ顔を出す「イルカの指輪」と。本作の読みどころはそこです。そこはさすが名匠の絶筆だけあって、うならせるものがあった。

翻訳者の山本史郎は好みが分かれるタイプの人で、特にトールキンの「ホビット」では瀬田貞二訳か山本史郎訳かで議論が絶えない人ですが(私は瀬田貞二は今の基準で見たらレベルが低い翻訳家だと思いますが)、この作品の訳文はまあまあでした。