ブラッドさんのワークショップで聞いた、ちょっと良いお話。
既に何度かご紹介しましたけれども、昨年就役したハワイ最新鋭の航海カヌー「ホクアラカイ」号は、量産を前提とした金型を製作して、それを使ってFRPの船体を作った最初の航海カヌーでした。
それと、これも最近ご紹介しましたけれど、カワイハエの港でマカリイの隣に建造中の航海カヌーがあったと。
そりゃ一体何だという所で止まっていたんですが、このほどその正体が明らかになりました。
船はホクアラカイ級の2番艦です。ブラッドさんによれば「完全に同じ船」だそうです。
この船は今年12月にホクレア号とともにハワイを出航し、ミクロネシア連邦に向かいます。そこでいくつかの島々を訪れた後(詳しいリストも見せてもらいましたがとりあえず秘密)、最終的にはサイパンに向かいます。
そこで、マウ・ピアイルグ師に寄贈されます。マウ師はサイパンで伝統航海術を教えるプログラムを行っており、この船はマウ師に名前を与えられた後に、ミクロネシアの若者たちが伝統航海術を学ぶ為の練習船となると。
う~む。私は「マカリイ・プロジェクトで2艘も航海カヌーは持てないだろうから、どこかから建造を委託されたんじゃないか?」と予想していましたが、委託じゃなかったんですね。プレゼントだったんですね。
これはハワイからマウ師への感謝の印なんだそうです。ブラッドさんによれば、「(新しい航海カヌーなど)マウ師が我々に与えてくれたものとは較べるべくもない。」と。【nothing can compaire】という言い方でしたから、マウ師の恩に報いられるようなものは存在しないが、せめて、という意味合いでしょう。
ブラッドさんも強調していましたが、マウ師からナイノア師に伝えられた伝統航海術がポリネシアじゅうに広まっていったのだと。マウ師がいなかったらこれは起こらなかったんだと。とすれば、ホクアラカイ級の建造費用数千万円など取るに足らないということでなんでしょうね。いい話だなあ。
また、ブラッドさんはこんな話もしてくれました。
ご存じのように、1995年の集団航海が終わった後、ハヴァイロア号はその船体の材となったシトカ・スプルースを寄贈してくれたアラスカ先住民への感謝の意を表す為に、北米大陸西岸を航海しました。
ハヴァイロア号はアラスカ先住民のコミュニティを一つ一つ訪問していったそうですが、クルーが「我々はみなさんに感謝の意を表す為に来ました。この船はあなたたちの船でもあるのです。」と切り出した所、あるコミュニティの長老がこんな話をしてくれたそうです。
「とんでもない。感謝しなければいけないのは私たちのほうです。この船が来るまで、我々の子供たちは民族の伝統を学びたがらず、ラップ歌手なんかを有り難がってばかりいました。ところが、みなさんが来る事になって、子供たちは部族の伝統的な歌や衣装でみなさんを出迎えなければいけないと考えたのか、私たちの所に部族の伝統を学びにやって来たのです。」
ハヴァイロア号のためにシトカ・スプルースの巨木を提供したセアラスカ社の人々は、この贈り物がハワイとアラスカ先住民を繋ぐものになると考えていました。この2本の木は伐採される時にハワイとクリンギットの神官がそれぞれ儀式を行ったのですが(そのビデオも見せていただきました)、この時クリンギットの神官が唱えたチャントは、次のようなものでした。
「我々はクリンギットのアスクワニの森と、今日我々が使う木に感謝します
あなたは力の象徴 あなたはどんな嵐にも耐える
それはハワイの人々への祝福であり、またハイダ、クリンギット、ハワイを結ぶ絆
我々がお互いに愛を育みますように
絶えることのない結びつきとなりますように 」
この祈りの通り、ハヴァイロア号はアラスカ先住民に大きな贈り物を持って帰ってきたわけです。そしてまた、まもなく、マウ師がハワイに与えた贈り物が、新造航海カヌーという形でミクロネシアに戻っていきます。
日本に住む私たちは、ホクレア号から何を頂くことになるのか。そして私たちは、ホクレア号に何をプレゼント出来るのか。もうあまり時間が無いです。カネで買えるものじゃない、スペシャルな何か(ホクアラカイ級の航海カヌーを作るにはお金がかかりますが、その技術を持っているのはハワイの人々だけで、彼らは商売で作っているわけじゃないので、お金を積めば必ず売って貰えるわけじゃないでしょう)。それは一体何でしょうか?
必死で考えないと。