同情するならカネをくれ

 今日は、昨日のお話から繋げて、先住民ツーリズムが実際にどのようにして先住民の役に立ちうるのか、その一つの例を紹介します。

 場所はラモトレック島。サタワル島やウォレアイ環礁と同じくカロリン諸島の島ですね。

 ヤップ州の海図はこちら。

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 サタワル島の隣って感じですねえ。

 さて、この島に、一人の老航海士がおりました。ジーザス・ウルピイJeses Urupiy(1912?-2003)師。ウルピイ師はサタワル島の航海士の家系に生まれ、1932年にPwoの儀式を済ませたという筋金入りの方です。かのチェチェメニ号で1975年に日本来航したレッパン師のお兄さん。

 ウルピイ師はラモトレック島の方と結婚したので、サタワル島からラモトレック島へと移り住んだのですが(女系社会なので、結婚する時は入り婿の形になる)、ラモトレック島に世帯を持ってからも航海士として数多くの航海を行ってこられたそうです。もちろんサタワル島にもしょっちゅう帰っていたのだとか。

 ところが、長年の航海で目を痛めたウルピイ師は白内障になってしまい、視力を失いかけてしまいます。結局グアム島で手術を受けてウルピイ師は失明を免れたのですが、それで何事か思うところがあったようで、以後ウルピイ師は後進の航海士の指導に熱心に取り組むようになったのだそうです。1990年にはおよそ半世紀ぶりにPwoの儀式を行い、また同じ時期に、伝統的航海カヌーの建造にも着手しました。

 しかし、ハヴァイロアやハヴァイキヌイなどと同じく、ここでも材木の調達が最初の難関として立ちふさがったのでした。1991年のハリケーンで、ラモトレック島にはカヌーのキールに使えるような木が無くなってしまっていたのです。ウォレアイ環礁に良い木が見つかったのですが、これを手に入れる為には800ドルが必要でした。10万円くらい。ホリエモンや日枝会長なら半日分のお小遣いにもならないでしょうが、それがラモトレック島の人たちにはなかなか調達出来なかった。

 そこで、考え出された手が、ラモトレック島の伝統音楽をもとにCDを作って、これを売りさばいてお金を作るという手です。言ってみれば「音楽の先住民ツーリズム」ですよね。先住民の音楽をCDにして売るわけですから。それでラモ・セライ・ボーイズLamo Serai Boyzというバンドが、とにかく音源を作りました。ですけれども、どうやって売りさばくか。Amazonで売る為にはCD-R手焼きではなくてマスタリングした音源を工場でプレスしたものでないといけまへん。だからAmazonでは売れない。自分たちでウェブサイト作って、そこで売れば良いじゃないかって? ラモトレック島ってインターネットプロバイダとかあるんでしょうかね。仮にあったとしてもラモトレック島からの通販って大変だと思いません? 郵便制度か宅配業者がしっかりしていないと、通販ビジネスは出来ませんよね。

 ここで彼らに手を貸したのが、ラモトレック島でフィールド調査をしていた文化人類学者のエリック・メッツガーEric Metzgarさんでした。

 エリックさんが自分のウェブサイトでCD-Rを売ってお金を作る。ビデオも作ってそっちも売る。売り上げ金で材木を買う。この奇策が功を奏したのか、カヌー建造はかなり進んでいるようです。ただしまだ完成はしておらず、そうこうしているうちにウルピイ師は亡くなってしまったのですが、ウルピイ師の息子のアリイさんやメッツガーさんたちがその遺志を継いで、現在も航海カヌー建造を進めておられます。

 もう、おわかりでしょう。先住民ツーリズムがもたらすお金もまた、先住民にとっては大切な資源なのだという事。

 あと、メッツガーさんも良いですよね。文化人類学者、やるじゃないですか。

 ラモトレック島の航海カヌー建造を応援したい方は、こちらからCDをお買いあげ下さい。クレジットカードOK。英語がわからないけど買いたいという方はご相談下さい。

Spirits of the Voyage CD

* サタワル島の航海士の中でも、航海士として一人前である者はPaluという称号を持つ事が出来るのですが、この称号を得る為の儀式がPwoです。もちろんマウ・ピアイルグ師もこの儀式を済ませています。