目立つ為ならここまでするさ

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 『おじいさんのはじめての航海』に面白い記述がありました。

 ヤップ島といえば石で作った巨大な貨幣、「石貨(せきか)」で有名ですが、これはヤップ島ではなく、500kmほど離れたパラウ島から運んできたものだそうです。ヤップ島ではそんなものを作れる石材が取れないんだとか。

 だから、石貨は価値がある。誰でも手に入れられる材料であれば、誰でも作れる。そういうものにはなかなか価値が認められないのが人間社会の習わしです。

 でも、どうやって? 

 石貨は重さ数トンという代物です。そんなものをどうやって500kmも海上輸送したのか?
 
 航海カヌーに積むか? でも数トンもある石材なんざ積み込んだ日には他のクルーが乗れないですよね。

 宇宙人を呼んでUFOで運んでもらうか? ・・・・呼び方がわかんねえってえば。

 彼らが用いたのは、筏を作ってそれに現地加工した石貨をくくりつけ、航海カヌーでひっぱって帰るという方法でした。実は日本のNPO「アルバトロス・クラブ」がこれの再現航海を行った事もあります。

「かつて、私たちのアルバトロス・クラブでは、ミクロネシアのヤップ島の森の中でタマナの巨木を切り倒した後、二年近い月日をかけてシングルアウトリガー・カヌーを建造し、そのカヌーに乗って南西約五百キロのところに浮かぶパラオ諸島まで赴き、そこにあるライムストーン(結晶石灰岩)から石貨を切り出してヤップ島まで持ち帰るという、石貨交易航海の再現プロジェクトを行ったことがある。その際に私たちのカヌー「ムソウマル号」の船長を務めてくれたのが、やはりマウ・ピアイルックであった。サタワルはヤップの離島になるのだが、ヤップ本島には既に古来の航海術を持つ人がいなくなってしまったため、離島民であるマウに声が掛かったのである。」

http://world-reader.ne.jp/tea-time/etani-000220.html

 これを指揮したのは国立民族学博物館(レッパン師のチェチェメニ号を展示保存している博物館)に所属する文化人類学者の秋道智彌さんのようです。秋道さんはサタワル島でのフィールド調査の経験もある、海人研究の泰斗ですね。

 さて、この「クソ重い石造物を遠くから船で運ぶ」というのは、ちょっと考えてみればわかるように、えらく手間がかかります。わざわざ専用の船を仕立てて行かなければいけないし、現地で石材加工する手間もある。それだけの時間、それだけのスタッフを確保して、石貨づくり、石貨運びという無駄な事に手間を突っ込まなければいけません。

 要するに、お大尽にしか出来ない道楽なんですな。石貨。

 だからこそ、こういうものを持っていると、「見せびらかし」効果が抜群です。「俺は凄い。俺は偉い。俺は強い。」ことが端的にわかる。見てわかる。見ればわかる(ただし目が見えない方にはなかなかわかっていただけないかもです)。

 私たちの社会だって似たようなもんでしょう。やたらとひらべったくって段差も越えられなくって燃費は極悪、排気音はうるさく、そのくせ人間は2人しか乗れず、荷物もゴルフバッグ2人ぶんしか積めない。しかもよく壊れる。そういう実用性ゼロのお車に1750万円という値段シールが貼ってあって、それはいつも新型発表と同時に国内販売分が予約で埋まり、納車まで2年待ちになる。

 そういうもん(殆どの場合は赤く塗ってあります)を庭先に置いておくのが、「俺は凄い。俺は偉い。俺は強い。」ことを判って貰うためのアピールになる。そういう無駄遣いのことを、ヴェブレンという社会学者は「顕示的消費」と(皮肉って)呼びました。

 地元では手に入らないレアなものであり、また実用の為ではなく見せびらかす為だけに、多大な労働力が費やされたもの。だから見せびらかし価値がある。なるほど。わかりやすいわ。

 ところで、こういう「クソ重い石造物を遠くから船で運ぶ」道楽が日本でも行われていた事が最近明らかになり、その海上輸送の実験航海がこの夏行われます。継体天皇の時代、大和政権の中枢とか、大和政権と強い結びつきがあった地方政権(吉備国など)の偉い人の石棺に、阿蘇山の麓でしか採れない石材が使われていたのですが、これを有明海から玄界灘、周防灘、瀬戸内海経由で河内にまで古代船で運ぼうという企画。

 既に、古墳時代の日本の船(準構造船)も再現され、クルーを務める水産大学校のボート部によって練習航海が行われています。船の名は「海王」。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/daiou/daiou/daiou05/daiou041028.htm

 ジオシティーズ時代のこのウェブログでも紹介した事があります。

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 面白いのは、この「阿蘇ピンク石」の石棺も、ヤップ島の石貨と同じく、筏に積んで曳航していく手法が採用されたこと。

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 きっと、「ムソウマル」の航海を知っていた誰かが耳打ちしてあげたんでしょうね。

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 画像は阿蘇山にある名水「鏡ケ池」近くの田圃に映る外輪山。

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 追記:私は明日から佐賀、福岡と、「海王」の辿る北九州の海を視察する旅に出ますので、しばらく更新は止まると思います。無事に帰って来れたらまた更新を再開します。