一昨日ヤップ島と中央カロリン諸島のサウェイ貿易の話をしました。サタワル島など中央カロリン諸島の島々は定期的にヤップ島まで貢ぎ物を送り届ける大航海を実施するというお話。
これが物質的には中央カロリン諸島からヤップ島に至る島々の間で相互に必要なものを交換し、また技術交流を促す機会になっているわけですが、それでは何故この航海が「貢ぎ物」航海という形になったのでしょうか?
政治でも経済でも教育でも、人間社会の現象は複雑系、つまり様々な要素が絡まり合った時に、想像もつかなかったような動きを見せるという性質がありますから、ヤップ島と中央カロリン諸島の島々との支配・従属関係も、単一の原因があるとは考えられません*1。
とはいっても、一つの要素に注目しつつ、その要素との関係で全体がどう回っているのかを見るというやり方はなかなか使いでがあります。一つの要素を全ての原因と見るのではなく、その要素との関わりあいという文脈において他の要素がどのような意味合いを持つのかを丁寧に見ていくわけです。このような視点を、ある分析対象に対して複数個持つ事で、バランスの取れた判断が可能になっていくのです。
さて、ヤップ島と中央カロリン諸島の島々の間のサウェイ貿易についても、この海域の気象条件に注目した解釈があります。これが割と面白い。
サタワル島では、1年間で嵐が吹きやすい時期を、星の動きに結びつけて、21に分類して記憶しています。ある星がある場所に来ると、嵐が起きやすいと憶えておくわけです。そういった星が21個ある。そして、面白いことに、これらの星と結びついた嵐は大体が東あるいは北東から吹くものなのです。ところが、この星の嵐以外にも、ごく稀に西からやってくる嵐があります。サタワル島から西を見ると、一番遠い所にあるのがヤップ島ですから、この嵐はヤップ島の方からやってくる事になります。そして、この西からの嵐は東からの嵐に較べて破壊力が格段に高く、一度これが直撃するとサタワル島の生産力が回復するまでに数年間かかるという恐ろしいものです。
要するに、島の知識では予測出来ない恐ろしい災害が、ごく稀にヤップ島の方からやって来るんですね。
宗教学では、こういった「予測不能の恐るべき災害」を混沌Caosと呼びます。一方、21の星の嵐は予測可能です。予測可能なもので構成されている日常世界を宗教学では秩序Nomosと呼びます。普段は秩序の中で暮らしているのに、時にとてつもない混沌がやって来て秩序を引き裂いて行く。こうしたとき、私たちは「何故こんな混沌がやってくるのか」を考えます。「何でこんな目に遭わないかんねん!」
しかし、こうした混沌の多くは「ここをこうしたらこうなるから」という説明が不可能です。発ガン物質に晒されて生きていればいつかはガンになりますが、そういうものに気をつけている人だってガンになる。運としか言いようがない。私たちは、このように「運としか言いようがない」厄災を、人智を越えたものの仕業と考えます。悪魔だとかモノノケだとか共産党が厄災を撒き散らしているのだと。
このような、「運としか言いようがない*2」ものに対する非科学的な説明の体系を、私たちは宗教と呼んでいます。
サタワル島の人々は、西から来る嵐を「ヤップ島の呪術師の仕業」だと考えました。「ヤップ島の呪術師が我々に不満を持っているから、嵐を送り込んで来たに違いない。」「ヤップ島に貢ぎ物を持っていって嵐を送り込むのを止めて貰おう。」「航海カヌーを用意しろ。」
つまり、サウェイ貿易には宗教的な心情も影響していたようなのです。
もちろん、サウェイ貿易が発生した理由はそれだけでは無いでしょう。丁度東西方向に飛び石上に島々が連なっていた事もあるし、お互いの自然条件の違いから生まれる産物の違いがあり、ヤップ島とこれらの島々の間で産物を交換する事が、双方にとって都合が良かったという側面もある。ですが、そういったモノの側面だけを見ていては、中央カロリン諸島の島々の人たちが、どのような思いで西に向かって船を出すのか理解する事は出来ないのです。
*1 逆に、政治や経済や教育の問題で単一の「犯人」を想定した議論を見かけたら、99%以上の確率で、その議論は粗雑で耳を傾けるに値しないものであると考えて良いと思います。
*2 ちなみにサタワル島に吹く西からの呪いの嵐を現代の気象の知識で説明すれば、要するにこの海域で発生する台風のほとんどはサタワル島の西側、フィリピンあたりで発生して、そのまま日本の方に向かう(台風のある西に向かって東風が吹く)のに対し、ごく稀にサタワル島の東側で台風が発生する(台風がある東に向かって西風が吹く)と、この台風はサタワル島を東から西に縦断してから日本に向かう事になるので、当然ながらサタワル島はズタズタに破壊されてしまうということになります。
日本による支配以降は、こうした嵐が来れば救援物資が送り込まれて来るようになりましたのでまだマシなのですが、それ以前は西からの呪いの嵐で島々が壊滅して、やむなくサイパンやグアムに人口の半数近くが移民した事もあったそうです。この時の移民の子孫は「カロリニアン」と呼ばれ、いまもサイパンに数千人ほどいるそうです。マウ師がしばしばサイパンに滞在されたのも、こうした「カロリニアン」の存在が影響した(中央カロリン諸島の社会は母系社会なので、男の子は相当数が別の島に入り婿になる。マウ師のご子息の中にもサイパンに渡った方がおられるそうです)のかもしれませんね。