「アルバトロス・クラブ」会報14号(1996年4月)

イメージ 1

 それでは拓海広志さんから頂いた資料を順に紹介していきましょう。

 まずいきなり超弩級の資料の登場です。「アルバトロス・クラブ」の会報、通巻14号。1996年4月発行の分厚い一冊。132ページまでは力のこもったエッセイや論文が並び、例えば75ページからは「ポリネシアンダブルカヌーへの誘い:あるヨットマンの反省」というエッセイなども収録されています。これはこれで面白いので、後日紹介します。

 さて。凄いのは133ページからです。ヤップ島で「ムソウマル」の建造に立ち会った田中拓弥さんという方の書かれた、「ムソウマル」の建造過程の詳細な報告が掲載されているのですが、これが180ページまで何と47ページに及ぶ、極めて詳細なヤップ式航海カヌーの図解なのですよ、旦那。「ムソウマル」の二面図から始まって、建造のおよそ全ての過程を詳細なイラストによって図解してあるという、とんでも無い代物です。何と言いましょうかね。皆さん、自動車の整備解説書って見たことありますか? これは自動車の車種ごとにメーカーが出版している詳細な整備方法の解説書で、これと工具(とSSTと呼ばれる専用工具)さえあれば、だいたい何でもバラせるという、ディープな自動車マニアの基本アイテム。だいたい一冊が5センチくらいの厚さの。

 この号、はっきり言って「ムソウマル」の整備解説書です。舷縁の加工過程や各部名称とか、船体の結縛の手順と部材の接合法とか、もちろん結縛法(縛り合わせ方)もばっちり図解してある。

 正直、血の気が引きました。凄いなあ。もうたまらんです。

 でも考えてみたらですよ。こうやって航海カヌーを作ることそのものの為に航海カヌーを一から建造して、それで遠洋航海をした日本人が、これまでに少なくとも三人以上はいるわけです。大内青琥さん、田中拓哉さん(と「アルバトロス・クラブ」の方々)、荒木汰久治さん(と「海人丸」のチーム)。

 もちろん航海カヌーというものが、それ自体何らかの価値のあるものと認識される以前には、数多くの漁民たちが木造漁船を造ってそれで遠洋航海をしていたわけですが。でも、そういった時代が終わりを告げた後に、航海カヌーというものの価値を認めて、それを復活させようと汗を流した日本人だってちゃんと居たんです。しかも、そのうちの二人はタイガー・エスペリさんが航海カヌーの価値を日本列島の住民たちに教えに来てくださる以前に、それをやっていた。

 いつか本当に内田正洋さんの「カマ・ク・ラ」が出来上がる日が来るとしても、それ以前にこういった方々が居られたということは、これは絶対に無視出来ない。忘れてはいけない。タイガーさんが来たから始まった、なんてことは言えないし(広まった、ならば多分事実でしょうし、彼が偉大な人物であったことに疑義を挟むつもりは全くありません)、「カマ・ク・ラ」が日本列島初の「航海カヌーとして建造された航海カヌー」ということも言えない。だって「海人丸」がありますもん。

 ・・・・と思うのですが。