おじいさんのはじめての航海

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 先日ご紹介したヤップ島の航海カヌー「ペサウ」号の航海を紹介した本が届きました。

 大内青琥『おじいさんのはじめての航海』理論社、1989年/2000年(新装版)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4652011377/

 著者の大内さんが、ヤップ島を構成する4つの島の1つ、マープ島で出会ったガアヤン酋長の航海カヌーづくりとその航海に密着取材した成果を、児童文学の形でまとめた本です。

 文章はとてもよく推敲されている名文で、児童文学とはいえ、大人の読書にも充分以上に応えられるものに仕上がっています。物語は主にヤップ島でのカヌー建造に焦点を当てていて、航海そのものについてはヤップ島とグアム島の間で終わっていますけれども、その中でも色々と面白い記述はありました。

 例えば航海術はサタワル島など中央カロリン諸島のものと同じく、星や波のうねりの方向を利用していて、同行している大内さんが驚くほど正確に目的地に着けること。アウトリガー上にデッキを設置していること。デッキ上の船室(ペイロンと呼ばれる)はヤップ島のメンツにかけても設置しないこと。というのもペイロンはヤップ島に従属しているサタワル島など中央カロリン諸島の島々の技術であって、そのようなものを設置するのは弱い者のやることであるという考えがあったのだそうです。

 また、ヤップとグアムの間で風の具合が思わしくなくなり、立ち往生してしまったこと。

 これについて大内さんは、リモート・オセアニアの航海カヌーの能力は北緯20度くらいまでが限界ではないかと書いておられますが、同じミクロネシア式のシングル・アウトリガー・カヌーのチェチェメニ号が沖縄本島まで行っていますし、マウ師の指揮する「サントリーSuntory」号*もグアムより北にあるサイパンまで余裕で往復しています。さらにハヴァイロアは北アメリカ大陸沿岸沿いをアラスカまで行った事を考えると、やはりヤップ島の遠洋航海技術がこの時点でカロリン諸島の島々やポリネシア航海協会を下回っていたのかな、という気もします。

 この時はグアムに向かって一生懸命シャンティングで切り上がろうと苦労したそうですが、基本的にポリネシアの航海カヌーがタッキングを用いるのは緊急避難的な手段であり、本来的には風の具合が良いときに一気に目的地まで渡ってしまうそうですから、ペサウ号の航海プランはいささか練り込みが足らなかったのかもしれません。

 ともかく、リモート・オセアニアの航海カヌー文化復興運動に関する一級品の資料であることは間違いない一冊ですので、興味がある方は在庫があるうちに買ってしまった方が良いでしょう。

 ちなみに大内さんは、ガアヤンさんに「ヤップ島の航海カヌー文化を記録して欲しい」と依頼されてこの航海に関わったそうです。これは門田修さんがスールー海の漂海民に言われた言葉と同じですよね。いま、ヤップ島の航海カヌー文化は滅びかけているそうですが、いつかヤップ島の人々が自分のアイデンティティの拠り所として航海カヌー文化を再発見した時、園田学園が保管している「ペサウ」号と、大内さんたちが残した記録は、必ずや大きな力になることでしょう。

* ミクロネシア連邦は日本文化が微妙に残っており、マウ師のクランの航海カヌーは日本の某酒造会社にちなんで名付けられています。レッパン師はロートの目薬がお気に入りだったとか。