パブリック・アート作品としての「少女像」ムーブメントが単純にダサいという指摘。

韓国の右翼自慢の「少女像」を見た息子の感想。
「見た目がダサい。もっと格好いいやつ作れよ。」
これは目からウロコが落ちる経験でした。
俺、芸術学教えてたのに。社会学も教えてたのに。芸術社会学も・・・
言われてみればこれはパブリック・アートの問題なんです。だって国家間の外交問題としての「慰安婦問題」は2015年12月28日の日韓合意で「最終かつ不可逆的に解決」されています。だから外交問題としてはもはや存在していない。
残るのはどこの国が悪いとかどこの誰がヘチマだとかいう話を越えた、人類普遍の社会問題としての人身売買や児童労働、児童買春にどう立ち向かっていくかという議論であり、その一環を担いうる、アート表現をどう立ち上げていくかという議論。例の少女像はその一つの事例として捉えるのが筋です。
 
で、息子は予備知識が無いからこそ、「これってアートとしてダサいよね」ということをストレートに見抜いて指摘した。
 
たしかに造形表現という1点に絞って評価してもあれはあまりにもダサい。
国粋主義と結びついたアート作品はそんなに珍しいもんでもないですが(例えばダヴィッドのこれとか)、時代や国境を越えて好意的に評価されるためには、何かしら前向きさや批評性が入っていないとダメですね。国粋主義の枠を越えて訴えかける普遍性が無いから。
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そういう意味でもあれを作った人や増殖させている人はアタマが悪いです。やればやるほど価値が下がるだけ。
あ、でもあれをソフビでいっぱい作って兵馬俑の代わりに秦の始皇帝の墓所のジオラマの中に並べたら現代アートとして評価されるかも。
あるいはそうですねえ、世界中50万個くらいあれ設置したらもうカーネル・サンダース人形と同じくらいに見慣れてしまって、誰も何も思わなくなるかもしれない。そこまで頑張ってみるのも楽しいと思いますよ。
試してみない?
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