今日は内幸町ホールでアメリカのろう者のダンスチームを見てきました。
Wild Zappersというチームで、ポッピングやロッキングなどオールドスクールのストリートダンス(ブレイキングは無し)からコンテンポラリーダンスやバレエ、それにアメリカ手話のサインソングなどを組み合わせた独自のダンスを創作している方々です。
いや、素晴らしかったですね。彼らをじっくり見たのは今回が初めてだったんですが、あのアポロ・シアターのアマチュア・ナイトで大受けしたというだけのことはある。エンターテインメントとして完成されています。
さて、このWild Zappersは、アメリカのワシントンD.C.にある、聴覚障害者の為の大学、ギャローデット大学出身の方々が中心となっているチームです。アメリカでは聴覚障害者の高等教育機関として、このギャローデット大学の他にロチェスター工科大学、それからカリフォルニア州立大学ノースリッジ校というのがあるんですが、Wild Zappersはだいたいこの三つの大学の出身者で構成されていますね。
ちなみに、ギャローデット大学では、たしか1988年だったと思いますが、大きな事件がありました。
「Deaf President Now」
聞こえない人を学長にしようという学生運動です。
ギャローデット大学はもともとギャローデットさんという方が作った聾学校が前身なのですが、その後は聞こえない人の為の大学として有名でした。ところが、この大学の学長というのが代々ずっと聞こえる人だったんですね。で、ある時、ある学長が失言をした。聞こえない人はハンパ者だと。それで激怒した学生たちがストライキをして、学長の退任と聞こえる人の学長就任を要求したのがこの事件です。
まあ、この事件の背景には、1970年代のアメリカを覆ったマイノリティ運動があるんですが(ホクレア号が先住ハワイアンのアイデンティティ回復運動の象徴だったように、アメリカのろう者もまた同じくらいの時期に「ろう者Deaf」としてのアイデンティティ回復運動を展開しました)、それがついに実力行使に至ったのが1988年だった。
ギャローデット大学は、初めて聞こえない人の学長を迎える事になりました。そして、この事件は世界中のろう者に影響を与えることになります。自分たちは手話という言語を持つマイノリティなのだという主張が盛り上がりました。そして、中には「聞こえる人や人生の途中で聞こえなくなった人(中途失聴者)にはろう者のことは理解出来ない。」という事を盛んに主張する人も出てきます。ろう者のことを理解できるのはろう者だけだ。
これってどこかで読んだ話でしょ。そう、何日か前に私は書きました。
「異文化理解教育とは、異文化の完全な理解は不可能だと諦める所から始まる。」
そういうことです。私は聞こえない人の友人が沢山居ますが、実際に彼らの生活実感というのは私にはわからない。話は色々聞きますけれども、本当のところはわからないし、わかったと思わないように心がけています。わかったような顔をして聞こえないという経験について語ることが、聞こえない友人たちを一番傷つけることだと思うからです(だから、私はわかったような顔をして航海カヌー文化復興運動について語らないで、常に部外者として語りたいなと思っています)。
ですが。わからない相手のことはいつも全部わからないのかというと、そうでもない。
例えば今日のWild Zappersですよ。彼らは聞こえないという人生をずっと生きてきた方です。ですが、聞こえる人の文化である音楽(音を出して何かするという意味での)やダンスを、聞こえない人の文化である手話と組み合わせて、極上のエンターテインメントを作っているわけです。そしてですね、彼らのアメリカ手話によるサイン・ダンスは、文化や言葉の壁を吹き飛ばして、私のハートをシェイクするんです。
私はアメリカ手話を知りません。そして、聞こえないということがどういう事なのかもよく知らない。でも、彼らがアメリカ手話で「I believe I can fly」と歌う時、彼らの体や魂が今にも大空に飛翔していくイメージが伝わってくる。
これは何故なんでしょうか?
私にも良くわからない。ですが、ただ一つはっきりしているのは、文化と文化の間の壁は高く厚いけれども、それを乗り越えて反対側にまで届く表現というのは確かに存在しているという事です。それはきっと、言葉以前の問題なんでしょうね。だって私は彼らの言葉であるアメリカ手話を知らないんだから。でも、言葉だけがコミュニケーションを可能にするなんてのは勘違いです。私たちは犬や猫や馬と「言葉が通じないにもかかわらず」、一定のコミュニケーションをとれるんですから。きっと言葉以前の何かがある。
それは何なのか。
もしかしたら、この相手とコミュニケートしてやるぞという意志なのかもしれません。
私は以前、Wild ZappersのリーダーであるFred Michael Beamさんと少しメールをやりとりしたことがあります。Fredさんは、こう書きました。「自分たちは、聞こえない人と聞こえる人はわかりあえるんだという事を伝えたいと思って作品を制作しています。たしかに自分たちは音が聞こえない。でも、自分たちは動きの中に音楽を感じるんです。」
これは以前の記事と矛盾します。ですが、これもまた真実だと思います。異なる文化に属する者が、お互いに理解しあう事は可能であると。きっとそれは「わからない」という事をも内包した理解なのだと思いますが。
Wild Zappersのステージ、今年は明後日12日に愛知万博会場内でもう1回だけあります。チャンスがあれば是非ご覧になって下さい。人間の手がこれほど美しい運動体になるんだと度胆を抜かれますよ。
ワイルド・ザッパーズについて詳しくはこちらを見てね。