議論はこんにち、インターネット上のあらゆる場所で日々生まれている。それが建設的な成果を生むこともあれば、不毛なフェードアウトに終わることもあるが、建設的な議論を創る為にまず必要なのはイシューについての共通理解だと思う。
イシューとは、議論に参加する者たちの間で見解が分かれる論点のことだ。それについての見解は分かれようとも、少なくとも論点が何かということは誰もが間違い無く理解していなければいけない。
そして、議論はそのイシューを巡る複数の見解それぞれの妥当性についてのみ展開することが大事だ。
例えば、いくらヒートアップしたとしても、論敵の人格攻撃(ad hominem)に走ってはいけない。これは議論を不毛にすると同時に、自身の退路を断ってしまう愚行だ。イシューについての論に留まっていれば、自論が敗退したとしてもノーサイドで終了出来る。しかしイシューについての論を超えてしまうと、議論をクリーンに終える機会は失われ、論敵の論の長所を採り入れることも困難になる。メリットはゼロだ。
(これを利用して、ダーティーファイトに移行してから「相手に役立つ論」を意識的に多く展開して、相手がそれらのオプションを採用出来ないようにするという姑息な技もあります。楽しいです。)
違うイシューを議論の中に引き込むことも良くないし、裏でネゴることでイシューを巡る議論の流れをコントロールしようとする行動も見苦しいだけだ。いずれも自身の成長にも目に見える成果にも繋がらないことは明らかだ。
これまで数多くの若者に、ブログやSNSでの情報発信を薦めてきた。彼・彼女らの大半はここに書いたようなことはなんとなく分かっていると思う。だが、インターネット空間には、こうしたことをわかっていない、けれども声は大きい手合も少なくない。
そういう手合に出会った時にどうするか。相手をするのは良い。たまにはストリートファイトを経験するのも良いだろうし、自分もこの20年間、無数にストリートファイトを楽しんできた。だが、そんな相手とでも常にイシューの在り処だけを見極め、そこに関してだけ言論を展開することが大事だ。
その理由は二つ。
まず、議論の正しい型を乱戦の中でも失わない構えが身につく。
もう一つ、どんな空中戦の中でもイシューの在り処を常に感じてそこにロックオンし続けられる直感が身につく。
(実はストリートファイトで相手が一番嫌がるのがイシューに集中される戦法で、人格攻撃とイシュー拡散が空振りになると、そそくさと逃げ出したり、逃げ切れないとDMで泣きを入れて来たりする)
これらは、本当に各自が取り組むべき仕事の場で、必ず役に立つはずだ。
で、ストリートファイトは適当に切り上げるのが賢い。時間は有限だから。