例の本を鵜呑みにするか批判的に読めるかが、AIに仕事を奪われるかどうかの目安なのかもしれないな

今日、Coder Dojoで息子が楽しくプログラミングしている間、あまりにもヒマ過ぎたので立川の本屋で新井紀子の例の本を立ち読みしました。
考えたことを箇条書きで記録しておきます。
1) 研究者の書いた本らしくない
 多くの研究者は「最低限これは言えると思うけれども、それでもほらこんなにエキサイティングでしょ」という、物凄く手堅い論述で、なおかつ自分の専門範囲に限った文章を書いて、本にします。
 ところが新井紀子の本は、例えば6月の模試で偏差値57.1が出たから大半の私大に東ロボくんは入れるし、MARCHの中でも合格判定80%出た学科があると主張し、なおかつ章のタイトルではMARCH、MARCHと連呼する。
 普通の研究者なら6月で高3がまだ本気出していない時点での模試の判定なんか参考程度、年末の模試で勝負するでしょ。それにMARCHの中でも極端に難易度が低いとこでS判定が出たからって、MARCHなんて猛烈アピールしませんよ。
※29年前ですが私、高3の6月は立教文学部史学科B判定、8月以降はS判定でした。
※MARCHの中にも中央のドイツ文学など偏差値52強というような日東駒専と同じくらいの難易度の学科はたまにあります。
※どこの学科でS判定が出たかちゃんと書けよ。
 ところが新井紀子は針小棒大な話の展開が多いんですよ。しかも専門外の議論を自信満々にやっている。
 内田樹を思い出すレベルで。
2) 読解力テストは数学パズルみたい
 ずーっと思ってましたけどあらためて、こんな文章は教科書や新聞に書いてあったとすればそりゃ書いた奴が悪いだろという悪文が少なからずあるんです。
 数学パズルみたいな読解力テストに正解出来たからって何なの。
 これから日本は母語が日本語ではない労働者や学習者が絶対に増えます。でないと国がもたないから。その時、新井式読解力テストみたいな
「やーいやーい、あんたこんなのも読めてないの?」
というのをやるために作られたようなアホ文は、書く方が悪い。教材も業務文書も、シンプルに、相手のことを考えて書くのが、当たり前よ。それで給料貰うんなら。相手の足元に、あとは流し込むだけというボールを出さないと。
3) AIと若者をdisりたい大衆のハートに刺さったのかな
 AIと若者。どちらも未知で得体が知れない存在に思う人は少なからずいるでしょう。そんな人たちに、内田樹みたいな雑なロジックと針小棒大な煽りトーンで
「AIには限界があります」
「それよりも今の子供たちは教科書が読めていないんですよ!」「プログラミング教育なんかより、子供たちの読解力を鍛えないと大恐慌が来ます」
と、肩書だけはえらく立派なおばちゃんが、いかにも憂国の士みたいな顔で説いたら、先生ついていきますってなるのかもね。
※新井理論では日本の労働者が高付加価値高賃金労働者と、AIにも出来る仕事しか出来ない低賃金労働者に二分されるということなんですが、それで社会階層間の所得の格差は増大するとしても、景気の縮退に直結はしないのではと思いました。
※新井が言うくらいICTによる中間流通業者の淘汰が進む社会は、そこに住む人々のICTスキルも相当なもんでしょう。教科書が読めてない人がECを駆使して一番安いとこを探し当てて買えますかね?
※ECのロジ回りは今もまだ人力に頼る部分が多いし、生鮮食料のECはオイシックスみたいなハイエンド系以外は7&iもAmazonも楽天もいまだに苦戦してるんですけど、自動運転やピッキングロボが完全に普及する時代が来たとしても、全てがECになる社会というのは私はあり得ないと思います。
※少量生産高付加価値の商材でのニッチマーケットビジネス、出来ればそれは素晴らしいんですが、糸井重里という存在そのものが反則級の広告媒体ですからね。「ほぼ日」が150万PV/日でしょ。そこに掲載されることの広告効果を他で得ようとしたら広告費何十万円では一昨日おいでの世界。ニッチのスモールビジネスはいかに安く広告を成功させるかが勝負なんですが、なかなか上手くいくもんじゃないですねえ。
私、新井紀子の著書を鵜呑みにするか批判的に読めるかが、AIに仕事を代替される人かどうかの試金石な気がしてなりません。