私が学生や院生の頃、周囲には、ちょっと楽器が上手い、ちょっと歌が上手い、ちょっと声がでかい、ちょっとセルフイメージが過大といった理由で、自分は将来ちょっとは知られた表現者になるという顔をしていた人が少なからずおりました。
大学の先生をしている時には、ちょっと光るものを少なくとも一度か二度は作ったという若者を少なからず見ました。
その中で、本当に「ちょっとは知られた」人になった・なりつつある人というのはとてもとても限られています。
ここで「ちょっとは知られた」とは、普段から身の回りに居る人たち(仕事上の知人や、いつもつるんで飲んでいる友人ね)以外、自分が会ったことも無く名前も知らない人たちからも、あの人の仕事はマアマアっすねと言われるという状態です。
何故、そんなことになったか。
少なくとも、消えた人たちには100%共通する要素があります。
コンスタントにアウトプットしなかったこと。これは100%消える。当たり前ですが。スタート時点での才能の差なんか微々たるもんで、アウトプットし続けることと、アウトプットし続けるためにインプットし続けること、この二つを続けられた人だけが、ミュージシャンや文筆家や研究者として「ちょっとは知られた」存在になっていったのでした。
こんなことはみんな分かっているんですよね、アタマでは。でも手が動かない。その手が動かない事実そのものが、あなたは平凡人であるということの揺るぎ無き証明となっていく。
でも中には、ちゃんとアウトプットし続けないとダメだよというアドバイスを聞いて地道に続けている人も、ほんのほんのわずかですが存在します。そういう人はですね、
「加藤先生(何故かいまだに色々な向きから先生呼ばわりされる)、こういう感じの若い人知りませんか?」
と相談されたときに、ささっとご紹介出来ちゃっているのです。
続けているということが、二つの点でアドバンテージをもたらしている。
続けているから忘れられない。名前がすぐに出てくる。
続けているから、続けられる人だということが保証される。
今なんか特に、若い人がLINEやスナチャや鍵アカインスタなどクローズドな場所に撤退して表に出てこない時期なので、オープンな場でコンスタントにアウトプットし続ける若者というだけでも、注目してもらえます。チャンスなんです。
という話を昨日したので、今日もアウトプットしておきます。