若い人たちは場当たり的なキャラの使い分けよりは礼儀作法を身につけた方が楽なんじゃないかと思う理由

【おそらく就活生向けの内容を含む】

手元の『日本国語大辞典』で「礼」と「礼儀」を調べてみました。

「礼」の初出は「十七条憲法」(604?)ということになっていますが、文献資料として残っているものは「日本書紀」(720)が最古だそうです。

「礼儀」は「続日本記」(797)が初出。

どちらも少なくとも奈良時代には日本国家の中枢で用いられていた概念であることは確かなようです。

これらの言葉に使われている「礼」という字の本来指し示すものは、(非常に大雑把に言うと)古代中国で紀元前8世紀頃から儒家がそれ以前の祖霊を対象とした呪術や祭祀を人と人のコミュニケーション領域に拡張しつつ整理していった体系の中心概念の一つで、他者への配慮のシステムのうち内面部分を「仁」、それが形に現れたものを「礼」とした・・・という理解でさほど間違っていないでしょう。

私が面白いなあと前々から思っているのは、礼が呪術・祭祀から発達してきたという点です。呪術・祭祀をここでは、放っておくと何をするかわからない超自然の存在に対し、決まりに従ったコミュニケーションを行うことで、超自然の存在の行動に制約を加える技法と考えましょうか。

この発想を生きている人間に応用したわけですね。

礼儀作法にしたがってコミュニケーションを執り行う限りにおいては、相手は滅多なことでは予測不能な暴挙には打って出られない。天皇陛下に対してはそれに相応しい礼儀がありますし、内閣総理大臣に対しても同様のものがあります。でも、それを守っている限り、先方が一般市民に害を為すことは不可能です。

このように考えると、弱者こそ礼儀作法を十二分に活用すべきであるとも言えますね。

実際、私は教え子たちをインターンシップ・プログラムに送り出す前の研修で、この考え方を教えました。これから君たちは電話営業や新規開拓営業を経験させてもらうけれども、そこで君たちを守ってくれるのが礼儀作法なのだと。自分を守り、相手の行動に制約を加える呪術として礼儀作法を使いこなしなさいと。

日本は就活真っ盛りです。多くの学生が様々な場で社会人に遭遇することになります。そこで就活の辛さの多寡を大きく左右するのが、「礼儀作法」の捉え方であり、活用の度合いなのではないかと思います。

就活において社会人と就活生の間には圧倒的な権力の非対称性があります(勉強不足の学生のために噛み砕いておくと、これは「就活生は立場が弱い」という意味だ)。そこで、相手を過剰に怖れて萎縮してしまうか、礼儀作法さえ正しく使っていれば恐るるに足らずと開き直れるか。もちろん早く就活が終わるのは後者です。

ことは就活に限らないですけどね。電通の調査で今時の若者はキャラの使い分けをするというのがありましたが、相手によって全く違うキャラを演じて何とかやり過ごそうとしていると、手持ちのキャラが別のところでバレるキャラクターリークのリスクが大きくなります。このリスク管理が更にストレスになって、見えないはずのSNSで過剰に毒づいて何故かSNS上に毒キャラが誕生してしまうとか。

それよりは、本来の自分をあまり変えずに、適切に礼儀作法を駆使してコミュニケーションしていった方が、断然シンプルで楽なんじゃないでしょうかね。