松井博『企業が帝国化する』書評:グローバリズムと職人気質は共存しうるのか

松井博さん(元アップル社シニアマネージャー)の『企業が帝国化する』を一昨日読んだので、その感想をまとめておきます。

本書では多国籍企業の中でも特に、自分の事業分野で圧倒的な影響力と収益を持つ巨大企業を「私設帝国」と定義し、こうした「私設帝国」が国民国家に比肩する、あるいはそれを越えるような強力な権力で人類の生活を支配するのが21世紀なのではないかという問題提起を行っています。

具体的に何が起こるのかというと、

1) アップルやエクソンモービル、マクドナルド、グーグル、タイソンフーズ、モンサント、コカコーラ、P&G、アマゾンなどの巨大多国籍企業がそれぞれの事業分野において、全世界で寡占状況を作り出してしまい、更にこれらの会社の中でもケタ外れの高級を取る、「仕組みを作る側」の幹部社員と、幾らでも代替可能な労働力として薄給しか支払われないその他大勢に分かれていく

2) これまで先進国に生まれたというだけで「そこそこ」の生活が保証されていた人々の多くが、グローバル化によって発展途上国の労働力との競争に晒される。その結果、単純労働(いわゆるマックジョブ)の給料は最低賃金近くに張り付くようになる。また創造性や高度なコミュニケーション能力、高度な技能が求められる仕事も発展途上国のハングリーな知的エリート層との奪い合いになる(既にシリコンバレー中心部では中国系やインド系のエリートが住民の何割という状態になっている)。

3) 巨大多国籍企業は豊富な資金を背景にした強力なロビーイングによって政策決定にも強い影響力を及ぼし、自社に不利な政策の実現を妨害し続ける。

4) こうした状況において、違法移民や最貧国の一般市民が「帝国」のピラミッド構造の最底辺に置かれ、著しい人権の抑圧状況に置かれることになる。

という、なかなかに鬱な未来図が提示されています。グローバル化の負の側面ですね。実際、先日も教え子が「センセー、グーグルの社員ヤバい(極めて優秀)です。感動します!」と言ってましたよ、ええ。何がどうヤバいのかわかりませんが、マイクロソフトの社員もヤバいらしいですし、IBMの社員もヤバいと聞いています。

こうした状況に対し、我々はどう対応していくべきなのかということも本書では議論されています。もちろん、ご自身もアップル帝国の中枢で長年働いてこられた松井さんですから、例えば内田樹たちが主張するような、巨大多国籍企業に高い税金をかけろとか、江戸時代のような自給自足経済に戻れとか、共産主義的なコミューンを作って助け合おうといった現実味に乏しい対策が出てくるわけではありません。本書で挙げられているのは、まずはエシカル消費論で議論されてきたような、インターネットを活用した市民によるサプライチェーンの監視と情報流通、そして消費者の視線による圧力です。

また、個人レベルでは技能を磨き創造性を養い人脈を広げ、という形で個人の価値を高め、帝国の組織の中での栄達を目指すことも出来ますし、帝国の外でゲリラ戦を展開して自分と家族を守るという生き方も可能であろうと。

私は松井さんの描く未来予想図に7割方同意します。ですが1点、果たしてどうなんだろうと思う部分もあります。

それは企業内のアルティザンシップ(職人気質)の問題です。確かにマックジョブのような単純労働は誰でもやれるでしょうから、最低時給に近い給料でも労働力は調達出来るでしょう。経理のような標準化しやすい頭脳労働もコンピュータに取って代わられるでしょうし、マックジョブより少しだけ複雑な作業(ピッキングとか)もロボットがどんどん人間の仕事を奪っていくでしょう。

ですがその一方で、マックジョバーでも労働力の質の良し悪しは確実にあると思うわけです。今年話題になった、飲食店やコンビニのバイトがバカな写真をSNSに公開して炎上というあれ。あるいはインドでは使用人が隙あらば家財を盗むので家中の収納に鍵がかけられているというあれ。つまり、文化圏ごとに労働エートスは全く異なるわけで、通り一遍のマックジョブをやらせるにも多大な管理コストを食うような場所もあれば、最低時給よりちょっと良いくらいの給料しか払わないのに、とんでもなく高品質な労働力が手に入るような場所(日本)もある。

となると、ある程度グローバリゼーションが進展して単純労働力の市場が全世界で統合された後に起こるのは、「高品質なマックジョバーが調達出来る地域の選好」なのではないかな、という気もします。

これに関連しますが、松井さんが言うような「私設帝国」、当該分野の世界市場を数社で寡占しているような多国籍企業においても、コールセンターやドライバーなど一見マックジョブのようなポジションに敢えてコストをかけている事例を個人的に知っております。無論、マックジョブポジションは安ければ安いほど良いんだ、質なんてどうでも良いんだというスタンスで経営されている会社もいっぱいありますが、そこに全てが収斂していくのでは無さそうだなと私は感じています。

上記の二つの推測に共通の論点が冒頭に挙げたアルティザンンシップ、すなわち(比較的)単純な業務においても工夫と改善を繰り返すことで品質を上げていこうとする気質です。「仕組みを作る側」と「マックジョブ」の2極化なのか、その中間に「仕組みは作らないが改良・改善能力は持ち、高い労働品質を提供する企業内職人」が残っていくのか。私は後者ではないかと思っています。

さて、私は2007年度から既に6年間にわたって日本の大学で学生たちを教えてきましたが、松井さんが定義するような「仕組みを作り、運営していく能力」を将来発揮しうると思える人材の割合は、やはり2割から3割の間でした。それを4割、5割に出来ないかと考えて色々と試してみたのですが、結果から言えば成功しなかったと思います。

更に言うと、そうやって「仕組みを作り、運営していく」人間になれと要求されることが苦痛であるような、しかし初等中等教育の教科学習ではまあまあ良い点を取れる人材というのが、無視出来ない比率で日本には存在しているとも思うのです。創造は彼・彼女らにとって苦痛であり、言われたことを「ほぼほぼ」こなして日々を過ごすのが最も幸せである、ということです。

私は彼・彼女らの幸せをも心から願っておりますが、それは彼・彼女を圧倒的にクリエイティブな人間に作り替えることでは実現出来ない(そもそもそれは不可能であり、また彼・彼女らに苦痛さえ与えてしまう)という、ある意味で残酷な事実に突き当たっています。

もしかすると彼・彼女らが最も幸福に生きられるのは前述のような「企業内職人」としてであるのかもしれません。言い換えるならば、彼・彼女らの能力を有効に活用していくためにも「企業内職人」の明確な定義、そしてこれを生かすような経営の理論が求められているのかもしれない、ということです。

(2808字)