文化認識論講義完了。今日はロバート・フランク、ニューカラーから21世紀のマルチメディアアーティストたちまで、思想史との関わりを中心に解説。みんな「わかりやすかった」と言ってくれました。今日初めて出した2軸2層の作品分析概念図も理解してもらえたようだし。
ちなみにヘルムート・ニュートンを高く評価した女子学生もいました。去年受けた子たちはアヴェドンが断然好きって言ってたんで、今年は何故ヘルムート・ニュートンがアヴェドンやペンの次の時代を制したのかを、きちんと理屈で説明しました。
最後まで残ったのは5人でしたが、楽しい講義だった。毎度のこととて教材準備や講義準備はくそ時間かかりますけどね(90分の講義に平均で6時間くらい準備時間使います。資料の作例画像を自炊したりDLしたりするのがとにかく時間食う)。
今年度の文化認識論は昨年度のようなアラカルト形式とは趣向を変え、思想史・社会史をベースに写真の歴史を見るというカリキュラムを組みました。
プラトン美学から始まって中世のスコラ哲学、ルネサンスの人文主義、新プラトン主義、ロマン主義からシカゴ学派の都市社会学、ニューエイジ思想、最後はポストモダニズムやフェミニズムやカルチュラルスタディーズというように、その時代の表現の背後には必ずその時代の思想があるんだよということを繰り返し説明したわけです。4回ある3000字以上レポートのテーマも「新」「真」「美」と来て最後は「善」。これはそのままモダニズム、論理学、美学、倫理学という西洋思想の基本概念に対応させています。
何故こういうカリキュラムを組んだかというと、それが一番わかりやすいから。写真の歴史は確実に欧米の価値観や歴史や文化を下敷きに進んできたのだから、欧米の価値観や歴史や文化をベースに写真史を見るのが一番シンプルで明快なんです。
もちろん日本にも写真の発明から10年以内に写真は伝わり、以降今日に至るまで独自の歴史はあります。でもそれは写真史全体の中で見たら辺境の地域史に過ぎない。写真の歴史の中心は19世紀の間はパリであり、20世紀にはニューヨークでした。何故ならばそこが最も豊かで最も強い権力を持っていたから。そして、そこには古代ギリシアから続く視覚表現についての価値観の発達史があり、現代も基本的にはその歴史の中で写真は評価されている。だから日本の写真家はネタとして(牛丼の上の沢庵的に)評価されることはあっても、写真の歴史の創り手として評価されることは極めて稀です。その例外中の例外が杉本博司先輩ですが、彼はちゃんと現代のアート写真の基本ルールを理解して、そのルールの中で新しさを提示出来ている。
今年度教えた学生は5人で、そのうち自分で創作をする子はおそらく2人だけですが、その2人にはせめて、そうしたルールにまずは従った上での創作活動に挑戦してもらいたいですね。大学教育を受けている以上、知らなかったでは済まない立場なのですから。
(今年度受講した2年生の中には「来年度も受講します!」宣言している子も。ちなみに今年度受講した4年生の中には、昨年度も受講していた子がいましたw)