写真文化論5回目

今日の写真文化論です。

最初は前回のクリフハンガーからの続きで、ピカソやブラックやマティスの19世紀末から1910年代の作品群を時系列順で見つつ、いかにして後期印象派からキュビスムとフォービスムが出現していったのかを説明します。

その際、前回は時間が無くて説明出来なかったフッサールのノエシスとノエマの概念を丁寧に解説。そっからちょっとだけ寄り道してミラーニューロンの話をしてから、もう一度、20世紀初頭の絵画主義写真を見る。

どーよ。色あせて見えるでしょ。

そうなんです。絵画主義の技法では印象派までは追えますが、後期印象派やキュビスム、フォービスムくらいまでいくと、もうフォトショップとメモリ2GB積んだPCが無いとダメなんす。追いつけない。完全に絵画サイドに千切られちゃってることがわかるんですね。身から出たサビなんですけど。

そこで、今度は写真が印刷出来るようになったという話から『ベルリン画報』、ライカやエルマノックスといった小型カメラの登場という技術革新を経て、大戦間のエーリッヒ・ザロモンやムンカッチ・マールトンの活躍、さらにはナチスドイツの台頭からユダヤ系フォトグラファーのUSAへの脱出、ギャラリー291におけるヨーロッパの最先端の絵画の紹介、ベレニス・アボットによるウジェーヌ・アジェの発見・・・・

時間足りねえよ。

ともかくそんな流れでフォトジャーナリズムが「メディアとしての写真」のマーケットとして急拡大したお話をします。そして冒頭のフッサールの話に立ち戻り、20世紀初頭の前衛絵画がノエシスの当たっている対象を転写するというコンセプトであったのに対し、ノエシスが見落としているものを事後に再発見出来るメディアとしてストレート写真が「来た」のだよと。

立教大の上澄みはとても賢いので、わからない人には何時間話してもわからないこういう話も5分間の説明でわかっちゃうんですね。凄いだろ。

後半は課題として出しておいたフォトエッセイを順にチェックした後に、ユージン・スミスの「カントリードクター」を、『LIFE』誌の確立した8種類の場面分類に基いて各自が分析するワークショップ。

今日も全速力で駆け抜けた90分でした。