今日の写真文化論です。
院生の履修者が修論佳境につき本日付でギブアップ。ハード過ぎますと。しょうがないですね。私はアクセル緩めません。俺が修士の時なんか時間足りなくてメシ食いながら教科書読んでたよ。そういうのが全部力になるの。大学の外にはこのペースが普通な会社がぎょうさんあるけんね。こないだ茅ヶ崎で飲んだゴールドマン・サックス→野村の友人なんか平日は8:30出社の終電退社で帰宅午前1時過ぎがデフォですって。
(いや、オマエそれはあかんよ)
さて今日は20世紀中葉のドキュメンタリー写真の流れを、細かなテクスト分析によって比較しました。
課題として出しておいた「作品群A」はEliot Erwitt、「作品群B」はRobert Frankです。実はアーウィットのが4歳若いんですが、作風的にはフランクのが新しい。
具体的に言うと、アーウィットは「モチーフの反復と変形」が語法の基礎にあり、同様の手法はポリフォニー以降の(つまりバロック期以降の)西洋古典音楽の基本だったと思うのです。時間が無くて言わなかったけど図像学自体も主題の反復と変形ですよね。またアーウィットの写真は構図そのものも非常に静的でバランスが良い。
では1956年に出たWilliam Kleinの"Life is good and good for you in New York"はどうかというと、クラインはVogue誌で活躍していたファッション・フォトグラファーだったので、Farm Security Administration系のクリア&パンフォーカスなドキュメンタリー写真とは別系統の美意識を持っていた。それがこれ。
・・・・・・・・・・なにこれピント合ってないしブレてるし構図以前に何が写ってるかわからん。
Don't think, Feel!
そういうものですね。ではフランクはどうでしょう?
見てみると、アーウィットほどカッチリしていないし人間賛歌っぽくも無いしワイルドだけど、クラインほど野蛮ではない。主題の反復変形はきっちりやっているし、構図もダイナミックだけどちゃんと計算されている。
ただし、写っているものはAll Americanな、みんなが大好きで愛していてこれぞUSAだよなというものではなく、ああ、そういうのもありましたねという世界です。24時間テレビでは確実に取り上げないような。
そこが、MOMAのディレクターだったEdward Steichenの「若々しくて、前向きで、劇的で、人類みな兄弟な(John Szarkowskiのスタイケン評)」ドキュメンタリーとは決定的に違う。でも、クラインとフランクによってドキュメンタリーという領域は大幅に拡張されたんだよ。
というのが今日のお話。
来週は多分Garry WinograndやLee FriedlanderやBruce Davidsonから話を始めます。この頃のアメリカのドキュメンタリー写真は萌えますね。