In the liminality

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 昨日集まった学生たちの関心の結構な部分を占めていたのが、あの話でした。

 「で、来年のフィールド演習どうする?」

 さすがに目の前にフィールド演習担当者の一人がいると、なかなかそやつのフィールド演習をどう評価するかという議論には踏み込めなかったようですが(笑:遠慮無くやりゃあ良いのに)、まあでも「あそこは就職良いから人気すごいらしい」「あそこは新しい先生だから何するのか」「あそこは試験するって」「じゃ俺は無理だ(笑)」「あそことあそこ、どっちにしようかな・・・」「今の2年ゼミのまま3年に持ち上がりが良い」「え、うちはそれ勘弁して(笑)」

 なんかね。それぞれ自分に一番フィットするところを見つけて欲しいものです。もちろんその先には就職という問題が控えていますし。今の学生の就活は本当に早いようで、3年生たち(私がかつて教えた学生たちの名前も「先輩」として挙がってましたが)は「みんな就活で死んでますよ今」だそうです。

 彼ら「しゃかげん」さんたちは3年生の12月に卒論計画書提出と聞いていますが、だとすると卒論のテーマもまだ定まらないうちから就職活動で説明会やセミナー回ってエントリーシート書きをやらされてるんですね。狂ってます。企業社会の方が。私らの時代は4年生になってからだったもんな。

 結構気合いの入ったバックパッカーで、拓海さんからも「彼はひと味違うよな」と去年秘かに言われていたTくんは、3年次ではエコツーリズム関係の勉強をしたいとか。その先には当然ながら「旅行業界」というものも進路の選択肢の一つとして見え隠れするわけですが、私からは一言。

「旅行業界入ったら旅行できないっての有名だよね。前に旅行が好きだっつってHIS行った友達も、HIS辞めるまで殆ど旅行できなかったよ忙しくて。」

 そうなんです。ここが難しいとこなんだ。
 
 彼らは2年前あるいは3年前は高校生で、大学進学のことだけ考えてました。学部の選択は、まあ何となく流れとか消去法で「しゃかげん」になった。それで大学生活を2年間やってきて、旅行とかバンドとかダンスとか、それぞれの趣味にも時間を使い、自分の方向性の手がかりみたいなものが見え始めてきた。(←今ココ)

 旅行が好き。音楽が好き。写真が好き。可愛いものが好き。ダンスが好き。みんなで集まるのが好き。色々な「好き」があって、そのどれかから先に繋がっているように見える道を選びたい。でも、その「好き」が必ずしも仕事の内容に繋がっているわけではない。どんな会社だって総務も経理も人事も営業もあるんですから。だから、大学の前半2年間で見えてきた自分の方向性と、大学の後半2年間ですべきこと、そしてその先にある社会人としての仕事の選び方の接続の仕方には、注意が必要ですね。

 どんな注意が必要か?

 昨日遊びに来た学生の一人に、私は次のようなアドバイスをしました。

 フィールド演習は、「そこで何を学びたいのか」ではなく「そこで学んだことを将来どのように役立てて社会貢献したいのか」で選びなさい。

 別の学生にはこんな話をしました。

 自分の好きなことを商材にしている会社を目指すのは良い。ただし、その会社がいつまでもそれを商材にしているとは限らない。これから20年後、30年後に社会はどう変化しているのか、その変化にその会社は自社の強みをどう生かして適応し、その商材はどう進化していくのかをまず考えなさい。そして、自分はその適応と進化にどう貢献していけるのかを考えて、進路を判断しなさい。

 つまり、就職内定をゴールと考えるのではなく、就職した後に自分は何をするのか、何が出来るのかを、「自分の好きなこと・思い入れがあること」と、「自分に出来ること・自分が得意なこと」の接点がどこになるのかという視点で考えてみよという話です。

 彼らは今、「自分のために生きる」というこれまでの状態から、「誰かの役に立つ人間として生きる」という新しい状態への移行のプロセスの中にいます。いわゆる境界状態(liminality)です。かつてナイノア・トンプソンが航法師見習いとして始めて挑んだタヒチ航海往路で経験した、赤道無風帯での混乱状態にも似ています。そのナイノアの経験に範を取るならば、彼らに求められるのは「自分がどこからどうやってここまで来たのか」を忘れないことと、「自分はどこを目指しているのか」を見失わないことでしょう。赤道無風帯を乗り切ることではなく、心の中にある、1500キロ先のタヒチの島影を見失わないこと。

 彼らなら、多分大丈夫だと思いますけどね。