新大久保で隣に座っていた戦争と死

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 昨日は2年ゼミ+1年ゼミ合同のフィールド調査実習でした。2年ゼミは秋葉原、原宿、新大久保の3箇所に散って調査と撮影をしたのですが、私は1年生4人を連れて新大久保隊に合流。韓国街に潜ってまいりました。

 ガイド役をしてくれたのは2年ゼミのBくん、そしてその恋人で韓国系アメリカ人のエイニー。エイニーは以前にもゼミの飲み会に顔を出したことがありますし、私はいつもFacebookで彼女と遊んでいるので、既に普通の友達感覚で「Hi Annie!!」なんてノリノリで挨拶しちゃうわけです。

 それではと早速案内してもらった韓国街。凄かったですねえ。いつの間にこんな巨大に育っていたのやら。路地裏にどんどん店が入り込んでいっていて、これはもう区画整理とか出来ないかもなこれ、という雰囲気でした。神楽坂と同じで、路地空間が観光資源化しちゃってるんです。補身湯(イヌ鍋)の店とか面白そうな場所も路地裏に隠れてたし(Bくんとエイニーは、「この店、高い!」「ぼったくり!」と顔をしかめていましたけれども)。

 さて、しばらく街を見て回って、1軒の韓国レストランでチジミや部隊チゲをつまんでいると、突然Bくんとエイニーの表情が変わりました。二人はiPhoneの画面をのぞき込みながら、何事か真剣に韓国語で話をしています。そうです。例の北朝鮮軍による砲撃の第一報が入ったのです。Bくんは海兵隊の予備役軍人ですから、休戦状態が壊れて本格的な戦闘が始まれば前線に呼ばれることになるし、その時には自分も死ぬ可能性は充分にある、でもどうせ死ぬなら敵兵を3人は殺して死にたいと以前からゼミの仲間たちには話していました。その前線招集の可能性が出てきてしまったわけです。

 固まっていたのは、この日初めて彼に会った1年生たち。隣に座っている優しいお兄さんが、もしかしたら来月には戦死しているかもしれないという世界に生きているという事実は、やはり衝撃力がありますよ。自分たちが生きている世界とのあまりの違いに、呆然としています。

「自分たちがどれだけ恵まれた世界に居るか、わかったでしょ? わかったら、感謝してもっと真剣に勉強せなあかんよ。」
「・・・・はい。」

 この時ばかりは素直でした。

 この日の夜は、Bくんの友達が働いている屋台のお店で打ち上げをしたのですが、そこでも色々とリアルな話を聞かせてもらうことが出来ました。その友達は、事件がおきたまさにその場所に駐屯していたこととか、現在は日本の大学で建築を勉強していて、将来は日本で建築事務所を開きたいという話。新大久保に集まっているのは韓国から留学や出稼ぎに来た人、あるいは最近移民してきた人々が中心で、在日韓国人や在日朝鮮人のコミュニティとの繋がりは殆ど無いこと。自分も予備役の海兵隊員で、本音を言えば戦場に行きたくは無いが、呼ばれたら・・・・。

「行くしかないですね。」

 その覚悟は出来ているという表情でした。
 
 続いてBくんも、予備役軍人という場所から見た現在の韓半島情勢の分析や、日韓関係についての自分の考えをじっくりと話してくれました。日韓関係については、日本人に対する不満ももちろんあるという話も出てきましたが、学生たちは8ヶ月のゼミ活動を通して深い信頼関係を完成させていますから、「なるほど、そうだったのか」という感じですっと納得している様子です。表面的な異文化理解ではなく、お互いの生の人間性を介在させた、個別的具体的なところから始まる、深いレベルの異文化理解のプロセスを目の当たりにして、私はしみじみとしていたのでした。やっぱりゼミの学びってのはみんなで創り上げるものなんだよなあ、と。

 そして最後の結論はこれ。

「これはもう、みんなで韓国行くしかないね!」

 例によって切り込み隊長1号のNさんが幹事役に名乗りを上げ、2010年度の2年次専門演習最後の活動は、春休みの韓国合宿ということに決まったのでした。